ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

勘違いは命取り

2018-07-29 08:29:49 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「要注意」7月24日
 『優生思想だ/単なるヘイト』という見出しの記事が掲載されました。自民党衆院議員杉田水脈氏の寄稿について報じる記事です。記事によると杉田氏は、『LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるのか。彼ら彼女らは子どもを作らない。つまり生産性がない『様々な性的指向を認めれば、兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や機械と結婚させろという声も出てくるかもしれない』などと主張しているとのことです。
 当然、多くの批判の声が寄せられています。私も正直なところ「よくもこんなバカが国会議員に…」という思いですが、ここでは杉田氏の主張の愚かさを追及するのではなく、議員という存在の特殊性について述べたいと思います。
 もし、こうした主張を校長や教員がしたらどうなるでしょうか。まちがいなく懲戒処分、それも戒告では済まないでしょう。杉田氏の発言については、同じ自民党の議員から支持する声が寄せられているようですが、そうした議員でさえも、校長や教員が同じことをしたときに味方になってはくれません。この差はどこからくるのでしょうか。
 議員は主権者である国民の支持によってその立場についています。議員の発言を非難することは誰しもがもつ権利ですが、議員を辞めさせること、発言を封じることは誰にも出来ません。確かに議会の総意として辞職勧告等の措置をとることはできますが、そうしたケースはごく希です。なぜなら、主権者のその人を議員にしたいという意思を主権者ではない別の機関が無視する、反する行動をとるということは、ある意味民主主義の否定につながりかねないからです。
 だから、国会議員も地方議員も、国民の7割、8割が嫌悪感を示すような問題発言を平然と繰り返すことが出来るのです。一方で、公務員である校長や教員には、そうした特権はありません。ですから、議員とは逆に、国民の8割、9割が賛同するような常識的な見解であっても、1割か2割が熱狂的に反対するような事柄について口にすることは許されていないのです。
 教員も校長も、常に明確な事実、教委や文科省等の公式見解に沿う意見しか口にしてはいけないのです。しかし、このことを十分に理解していない教員などが、ときに問題発言をし、混乱を引き起こすのです。
 例えば、「体罰もときには必要」という教員がいます。おそらく同じ考えの政治家は保守派を中心に相当数いるはずです。彼らは実際にそうした発言をしています。そして批判されるどころか勇気ある発言と評価されることさえあります。しかし、教員が保護社会党で口にすれば、間違いなく処分、おそらく戒告程度でしょうが、処分されることになります。また、「いじめは、いじめられる側の子供にも原因がある場合が多いのです」という発言も同じですし、「いじめに負けないような強い心をもつことも必要」などという発言も、政治家が言う分には、小さな波紋で済みますが、教員や校長が話せば、大問題となります。
 例示したいじめや体罰についての発言は、実際に過去の政治家が発言したものです。そしてこうした発言が報道されると、教員の一部に「政治家が言っているんだから、自分が言っても問題ない」と勘違いし、妄言を口にし問題を起こすというケースが増えてくるのです。今回も、「LGBTは役立たず」というような妄言を口にする教員が現れるのではないかと心配になります。その種の妄言は、教員にとっては命取りですよ。

 

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