ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

思想統制?

2018-05-01 07:50:07 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「保革逆転」4月19日
 『「若い隊員さまざまな思いある」防衛相擁護 野党が批判』という見出しの記事が掲載されました。『3等空佐が民進党の小西洋介参院議員を罵倒した問題』に関する記事です。
 記事によると、野党が批判している防衛相の発言とは、『「彼も国民の一人なので、当然思うことはあると思う」とも語った。その後に「ただ、それを口にするかどうかは立場をおもんばかって対応すべき」と続けていた』というものだそうです。
 正直なところ、小野寺防衛相の発言にどこが問題なのか理解できません。実力部隊に対する文民統制の必要性も、戦前の軍部による政治家への圧力が戦争への道を開いたことも理解しているつもりです。3等空佐の行動が許されないという考えも同じです。厳罰に処すべきだとも考えています。しかし、非難され、処分されるべきなのは、空佐の言動に限られるべきだと考えています。
 このブログで何回も書いてきたことですが、私は教委勤務時代に、教員の処分に関する職務を担当していたことがありました。そのとき一番気が重かったのは、いわゆる卒業式における国旗国歌問題に関わる処分でした。メディアが取り上げるという点でも最新の対応が求められましたし、処分者に「確信犯」が多く裁判等組織的な抵抗活動も盛んでした。
 そのときの対応指針は、職務命令を分かりやすく具体的なものとし、教員の具体的な言動をきちんと確認し、確認した事実だけを対象に処分を行う、ということでした。別の言い方をすれば、教員が、国旗や国家についてどのように考えているか、起立や斉唱を命じられることをどのように感じているか、職務命令を下されることをどのように捉えているか、というような外部からの観察では分からないことを処分の理由にしないということでした。
 さらに縮めて言えば、内心の自由は尊重するということでした。私は、職業人、社会人としての全ての期間を組織の属して生きてきました。上司の指示や命令に対して、「おかしいな」「違うんじゃないかな」「もっとうまいやり方があるのに」などと感じたことは数え切れなくありました。疑問を挟んだこともありましたし、質問という形で疑問を提示したこともありましたし、何も言わずに飲み込んだこともありました。
 しかし、いずれのときでも、一度受けた指示や命令に対しては、それをやり遂げようと努力はしました。もちろん、人間ですから感情と無縁ではありません。疑問を感じながらの職務執行でおざなりな対応になり、やり遂げられなかったことも数多くありました。自分で納得して取り組んだときとは、職務への情熱が違ってくるのは自覚していました。ただ、そのことで処分されたり、叱責されたことはありませんでした。叱責されたのはあくまでも与えられた課題を達成できなかったという事実に対してであり、私の中の不満や疑問という思いのためではありませんでした。それが、当たり前の社会だと考えていました。
 今回、いわゆるリベラル派とされる野党側が、防衛相発言を批判するのは、内心の自由の大切さを訴えてきた従来の主張と矛盾するように思うのです。まさか、共産党や民進党は、「卒業式で国歌を斉唱していても、内心で君が代なんて、と思っている教員も処分しろ」という方針に転換したわけではないでしょう。

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