ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教員にとっての男の子

2015-12-04 07:32:24 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「聞いたことがない」11月30日
 『悩む母親に「男の子」本』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『服のポケットを探ると虫や石が出てくる。「ダメ!」と注意したことをやる-。男の子の行動を「理解できない」と悩む母親も多い。近年、「男の子の育て方」に関する本が相次いで発刊されている』のだそうです。
 この記事を読んで、最初は「へえー」と思いました。そんなことがあるんだ、という感じでした。その後、自分は男なので、男の子の行動に違和感を覚えないけれども、異性である母親から見ると、分からないこともあるんだろうと、納得した気になりました。しかし、もう少し考えてみると、おかしなことに気が付きました。
 私が小学校の教員だったとき、男児の指導に気を遣わされた記憶はほとんどありません。高学年を担任することが多かった私は、女児への接し方に細心の注意を払っていたものでした。人間関係のトラブルは圧倒的に女児間で多かったですし、教員の些細な言動を「贔屓している」「○○さんばかり~」と非難するのも女児が多かったものでした。
 これだけなら、異性の私には女児の理解が難しかった、ということになりそうですが、実際には、同僚の女性教員もほとんどが、「難しいのは女児」と言っていました。同性間であっても、女児理解の方が大変だという認識だったのです。
 私が小学校教員をしていた時代と今とでは、子供が変わったのでしょうか。もちろん、多少の変化はあるでしょうが、本質的な部分に大きな変化があったとは考えられません。では、記事でいう「男の子」は、小学生ではない子供を指しているのでしょうか。しかし、専門家としてコメントを寄せている東京学芸大教授の小笠原恵氏は、中3の息子さんについて述べていらっしゃいますから、幼児に限った話ではないようです。
 もう一つ考えられるのは、親と教員とでは、見せる顔が違うということです。しかし、ギャングエージの子供、特に女児よりも精神年齢が幼いといわれるこの時期の男児が、意図的にそんな使い分けができるとは思えません。ただ、無意識のうちに使い分けをしている可能性はあると思います。
 少子化で、家庭の中で唯一の子供であるケースは珍しくありませんし、兄弟がいても男児は自分だけというケースを含めれば、多くの男児は、特別な存在として家庭の居場所を確保しているといえるでしょう。一方、学校では、その他大勢の一人です。
 教員が書く「男の子本」も見てみたいものです。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 構想力が問われるクロスオーバー | トップ | バスの行方 »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事