ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

再発防止に必要な事後処理

2021-09-27 08:01:19 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「問題なのは」9月22日
 『児童に「死ぬしかない」 特別支援学級教諭免職 暴言・体罰34件』という見出しの記事が掲載されました。『姫路市立城陽小の特別支援学級の児童6人に「生きる価値なし。死ぬしかない」など34件の暴言や体罰をしたとして、県教委は21日、同学級の担任、藪田侑亮教諭(39)を懲戒免職処分にした』ことを報じる記事です。
 ひどい教員です。でもそれで終わってしまっては、この事件の背景にある問題を解決することはできません。まず、『担任をサポートする教職員は18年度から藪田教諭の体罰などを当時の校長に報告していた』という点にあります。同僚の教員たちは校長に報告という形で子供を守るという責任の一端を果たしています。それは認めなければなりませんが、本来はもう一歩進んで、藪田教員を阻止しなければならないのです。
 「藪田先生、やめなさい!あなたのしていることは体罰ですよ」と声を掛け、子供を救い出し、藪田教員に注意をするのが、体罰を確認した教員の務めなのです。そうした行動をとることによってのみ、保護者や子供から信頼されることができるのです。
 殴られている子供の立場で考えてみれば分ることです。殴られている場面を目撃している教員が、止めもせず傍観していれば、後刻校長に報告したからといって、「○○先生は藪田先生の暴力から僕を守ってくれた」と思うでしょうか。思うわけがありません。
 実際に、子供の前で同僚に注意をするというのは、フラットな職場である学校では難しいことですが、教員への、学校への、そして公教育への子供や保護者の信頼を得るためには絶対に必要なことなのです。校長や教委は、そのための研修や指導を行わなければなりません。
 次は、校長の無能ぶりについてです。記事によると、『教職員は18年度から藪田教諭の体罰などを当時の校長に報告していた』ということであり、『20年度に同行に赴任した湊泰宏校長も21年4月に報告を2度受けたが口頭注意にとどめ』ていたというのです。
 湊校長は、『藪田教諭は与えられた仕事に真面目に取り組んでいた。口頭注意で改めると思っていた』と語っています。私の経験では、18年度から足掛け4年、体罰や暴言を繰り返していた常習者が、注意だけで改めることはあり得ません。断固とした処分が必要なのです。
 こうしたケースでは、「普段はよく頑張ってくれているし」「ここで処分歴をつけてしまっては藪田教員の将来が~」というような思惑で、教委への報告を躊躇ったという言い訳を耳にすることが多いのですが、嘘です。校長自身の管理能力が問われることへの恐れや、その後に起こる様々面倒な処理作業を避けたい気持ちなどが、理由であることがほとんどです。また、情けない話ですが、当該教員に恨まれたくないという弱気な校長もいます。
 しかしそうした配慮や温情は結局、教員のためにも自分のためにもなりません。実際、教員は免職、校長自身は減給処分となっているのですから。体罰等をした教員を立ち直らせるためには、きちんとした処分によって、自分が犯した罪の深さを自覚させることが出発点になります。教委への報告も処分も、教員自身のために行うものなのです。
 最後に、これは想像ですが、藪田教員が特別支援学級の担任であったと言ことが影響している可能性があります。通常の学校内に設けられた特別支援学級は、学校内の別の学校のようになってしまい、そこにミニ校長のような存在が生まれ、校長が指導できないような雰囲気になってしまうことがあるのです。多くの場合、校長は通常学級の担任を経て校長になっており、特別支援教育については理解が浅く、そこに長く勤務している教員の専門性に遠慮し、全てを委ねてしまい必要なチェック機能を果たせなくなってしまっていることが少なくないものです。校長は、特別支援教育について学び、教委の指導主事等の助言も得て、校長としての指示命令を発することを躊躇ってはならないのです。
 体罰事件は、教員の処分で終わらせるのではなく、上述した視点からの「事後処理」が必要なのです。

 

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