「もしかしたら」11月14日
法政大総長田中優子氏が、『ユニバーサルマナー』という表題でコラムを書かれていました。その中で田中氏は、『ユニバーサルマナーとは、障害をもつ人、高齢者、3歳未満の子供などとコミュニケーションをとる際に、必要となる意識や行動のことである』と述べていらっしゃいます。
私はこの中の、「障害をもつ人」という表現に着目しました。このブログでも以前この問題を取り上げました。私が教委で人権教育を担当していたとき、「障害をもつ人」という言い方は避けるのが常識でした。「障害のある人」という言い方を用いていたのです。前者の「もつ」には自らの意思で、というニュアンスがあります。障害者は、自ら望んで障害者になったのではないので、「もつ」は相応しくない表現であり、障害者を傷つけるという考え方からでした。
田中氏は、「もつ」を使われています。これが人権感覚に乏しい人の発言であれば、無知あるいは無関心を示していると切り捨ててしまうところなのですが、このコラムでも人権問題について深い理解を示されてきた田中氏の表現であるだけに、私の理解とは違う何らかの意味があるのではないか、と思ったのです。
あくまでも想像ですが、障害を降りかかった災難視する受け身の発想ではなく、障害も自分らしさの一つとして積極的に評価する発想から「もつ」を使われているのではないでしょうか。
また、障害のあるお子さんの親御さんたちが、「この子のお陰で人間として成長できた」という意味のことをおっしゃっているのを耳にすることがあります。これも障害の積極的評価の一つの表れです。ですから、類い希な運動能力を「もつ」、超人的な記憶力を「もつ」と言い、運動能力がある、記憶力があるとは言わないように、「もつ」を使おうという意思の表れなのではないかと考えてみたのです。
江戸時代の文化を専門となさっている田中氏は、コラムの後半で『江戸時代に健常者・障害者という概念はない』と書かれています。もちろん江戸時代にも障害者はいたはずですから、田中氏は、障害者という言葉にマイナスのイメージを負わせて特別視するのではなく、『誰もが受け入れられ、さほど不自由しない社会』として江戸時代を認識し、現代社会もそうあるべきと言っているのだと思います。そのためには、障害を積極的に評価するという意識改革が大切だということなのではないでしょうか。
人権教育における障害者差別の問題の扱い方にも、意識改革が必要なのかもしれません。
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