ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

知力がなければは反省できない

2021-12-18 08:44:23 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「学校も同じはず」12月15日
 『学び直し自分変えたい』という見出しの記事が掲載されました。『全国で唯一、刑務所内にもうけられた公立中学』について報じる記事です。その中に、『授業は「反省する力」を養うことも目的の一つで、星野(教育専門官)さんは「反省するには思考力と知識も必要になる。それがなければ刑務所で『反省して』と促してもできない」と話す』という記述がありました。
 全くその通りです。記事によると、『受刑者は読み書きや計算ができない人が多く~』という状況だそうです。そうした人たちに、私たちが普通にイメージする「大人」や「社会人」に対するように、反省を迫っても、「反省しろと言われているから、悪いことだったんだろう」レベルの反省しかできないケースが多くなるのは当然です。
 学校も、教員も同じ轍を踏んでいないでしょうか。目の前にいるのは中学2年生だからと、教員が話しかけ、道理を説き、社会のルールを説明し、反省を迫っても、生徒の方は「よく分からないけど、先生怒っているみたいだし」「俺はいつも叱られているから、きっと今度も悪いことしたんだよな」という感覚で反省し謝罪しているというケースがあるのではないか、ということです。
 他人の物を力づくで奪う。もちろんいけないことです。しかし、「嫌だったら嫌だと言えばいいのに、言わなかった」「前に500円取り上げたときにも文句も言わず笑っていた」などと、相手に責任転嫁する子供がいるのです。幼少期に童話の読み聞かせをしてもらったこともなく、小学生になってからも、人間の心を描いた様々な「名作」を読むこともなく、その多くは文字を読むこと自体が苦手で、つまり「反省するための知識と思考力」が足りない子供たちです。
 そうした子供たちには、まず基本的な学力を、知識と思考力を身に付けさせることから始めなければ、自分の行いの意味を考えさせるという、本当の意味での生活指導は成り立たないのです。各教科の学習は、実は生活指導や道徳の基盤ともなっているということです。各教科の学習を軽視したまま、人間性の育成を掲げるなどということは本末転倒だということです。このことからも、学校教育の本道は日々の授業にあるということが言えるのではないでしょうか。
 なお、この記事の中で共感させられた星野氏の言葉をもう一つ紹介しておきます。『生徒(受刑者)には「信用もしていないし、疑ってもいない」との言葉を投げかける』です。教員は、安易に「子供を信じる」と言います。もちろん美しい言葉ですが、信じると言って何もせず、子供が期待に反することをすると、裏切られたと被害者のような顔をする教員がいます。それは専門職として甘すぎます。盲信するのではなく、目の前の子供には何かあればまた自分にまけてしまうかもしれない弱い部分がある、そのときにはすぐに助けの手お差し伸べようという覚悟をもつ方が、専門職に相応しいのです。

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