「未来の学校」7月21日
『そこが聞きたい 舞台裏のハラスメント』という見出しの記事が掲載されました。『宝塚歌劇団の劇団員の女性が死亡した問題や、旧ジャニーズ事務所の性加害問題は、華やかなステージの裏に潜む構造的な「闇」を浮き彫りにした(略)こうした現状をどう受け止めているのか』という問題意識の下行われた、愛知県芸術劇場芸術監督唐津絵理氏へのインタビュー記事です。
その中に気になる記述がありました。『スタジオや稽古場の閉じられた空間で、「先生と生徒」「先輩と後輩」といった上下関係のある人だけでレッスンや稽古が行われていることが、ハラスメントが生まれる原因の一つ(略)長年続く師弟関係を理由に、それが「指導」なのか「暴力」なのか判断するのが難しい(略)被害を受けた側が「おかしい」と思っても、第三者がいない閉鎖空間や立場の違いから声を上げられません』という記述です。
これってまさに、学校の教室内でのこととぴったり重なるのではないでしょうか。教室は、TTなどの例外はありますが、基本的に教員と子供だけの閉じられた空間ですから。ではどのように対応すればよいのでしょうか。唐津氏の回答は当たり前のことですが、私にはショックでした。
唐津氏は、「観客を含む第三者が参加するオープンな空間の創出を目指しています。ダンサーらが稽古する様子を、多くのスタッフが見守る環境になっており、ハラスメントの抑止につながっています」と語っていらっしゃるのです。
つまり、指導者と教わる者以外のものが常に同じ空間にいるということです。学校でいえば、教室に教員と子供以外の第三者が常にいる体制を作るということです。TTという形は、指導者が2人いるということですし、障害のある子供は日本語を母語としない子供のために介護者が付き添うということは今でもあります。しかしそうした形では、TTの場合、T2はT1の補助者的な位置付けでT1に逆らえないというような場合がありますし、介護者は、担当の子供以外の問題については口を挟みにくい、という状況にあるケースが少なくありません。
要するに、多少程度は弱まりますが、教室全体を支配する者がいるという構造は変わらないのです。しかし、唐津氏が提唱しているのは、閉鎖空間の独裁者の支配下にはない第三者が常にいるということなのです。しかも、複数人。
これを教室に取り入れるとなれば、担任や授業者から何ら影響を受けない立場にある「ハラスメント監視員」が複数人配置されているという状況になります。全校12学級の学校の場合、1学級に3人の監視員を配置するとして、36人の監視員が置かれることになります。馴れ合いの人間関係を排するため、監視員は職員室とは別の場所を用意され、その指揮命令系統は、校長→副校長→主幹という教員サイドとは切り離されることにもなるでしょう。
教員の指導内容についての評価は職務ではなく、あくまでもハラスメント、体罰や暴言、モラハラやセクハラといった行為の有無だけを見て記録するということですから、一定の研修を終えさえすれば、通常の社会人なら誰でも監視員に就くことは可能です。地域の高齢者や大学生などを対象に、交通費以外はボランティアで、ということにすればそれほど多くの予算は必要としないはずです。つまり、実現性は高いのです。
教員と子供と監視員、それが学校の通常の形になったとき、学校の何かが変わってしまうような気がします。その変化は望ましいものなのか否か、私には分かりませんが。でも、そんな未来の学校はすぐにも実現するような気がします。先進的な取り組みをする自治体から試行例が報告される日は近いように思えます。見たいような見たくないような、ですが。
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