ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

免罪符

2018-11-12 07:12:52 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「脱精神論」11月6日
 作家津村記久子氏が、コラムで『小さな会社でぼくは育つ(神吉直人著)』を取り上げていらっしゃいました。津村氏は、同書を『「中小企業に入社して働くということ」に焦点を合わせて、きわめて現実的に、けれども同時に強い理想に基づいて書かれた本』と評価しています。
 その具体的な例として、『仕事にまつわる能力的成長について、コミュニケーション能力や戦略的にものを考える力を挙げつつも、」まず身につけられるものとして、「適切なビジネスメールが書けること」「敬語が正しく使えること」「パソコンを使って資料が作れること」といった目に見える小さな技術を挙げている。そしてメモを習慣化しましょうという』を紹介されています。
 10年以上の企業勤務経験を経て作家となった津村氏ならではの着眼点ですし、神吉氏の仕事への姿勢も正しいものだと思います。以前もこのブログで指摘したことですが、我が国では、夢を諦めないことを強調し、熱意さえあれば突破できるというような「精神論」に偏った仕事論、自己成長論が多すぎるというのが私の考えです。夢や情熱を否定するわけではありませんが、こうした考え方には2つの欠点があると考えています。
 まず、夢や理想と現実のギャップを埋める努力を軽視し、この仕事は自分の求めるものとは違うと安易に次の仕事に移る「青い鳥症候群」に陥りやすいことです。自分を見つめることなく、失敗の原因を外部の環境に押し付け、責任転嫁する現実逃避の生き方です。
 もう一つは、自分には人一倍の情熱があるということを免罪符に、辛く退屈で地道な努力の積み重ねを怠りがちになるということです。私は教委勤務時代に、指導力不足教員の研修を担当してきました。彼らのほとんどは、この2つの欠点をもちあわせていました。自分は子供を愛している、教員としての情熱は誰にも負けない、一人一人の子供がもっている無限の可能性を花開かせ豊かな人生を暮らせる手伝いをしたい、など壮大な夢を語り自己肯定している一方で、研究授業をしたこともなく、授業記録の取り方も知らず、学習指導案の書き方も分からず、質問と発問のちがいさえ知ろうとしないで20年以上も教員生活を送り続けてきた怠け者であり、自分に甘い職業人だったのです。
 私は企業に勤めた経験もなく、今の企業についても知りません。ですから、神吉氏が挙げたビジネスメールや敬語、メモやパソコン技能が本当にビジネスマン一年生として必須のものなのかは判断できません。でも、こうして具体的に習得すべき事項を掲げ、その視点から部下を育てていく姿勢は正しいと考えます。これなら、客観的な自己評価が可能であり、自分で自分を鍛え斉唱することができますから。
 同じように、若い教員の育成も、具体的に○○ができる、▽▽を使いこなせる、というような項目を挙げ、指導すると共に若い教員自身が自己評価しながら、日々の職務に当たることができるような環境を整えていくことが、校長などの管理職や指導に当たる教員に求められているように思います。中堅と呼ばれるようになった教員は、子供だけでなく後輩の教員も育てなければならないのですから。

 

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