ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

心を伝えないコミュニケーション

2024-07-06 08:14:10 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「慇懃無礼」6月30日
 心療内科医海原純子氏が、『決まり文句』という表題でコラムを書かれていました。その中で海原氏は、『決まり文句を読んでいる場合と、言葉の奥にある心を伝えるということは、同じ言葉でも伝わり方が違う(略)気持ちのこもらない決まり文句は伝わらない(略)予定調和的な言葉、これさえ言っておけば大丈夫、という言葉を、気持ちを込めずに話すと逆効果になる場合がある』と述べられています。
 その通りかもしれないと思います。その通りと断言できないのは、心のこもっていない決まり文句でも、心が弱っているときには、批判や叱責、注意や指導の言葉よりも、「優しい決まり文句」の方が救われるという場合もあると思うからです。それはさておき、海原氏は、「決まり文句」にまつわるこのコラムを、『気持ちを伝えるにはどうすれば』というテーマで書かれていることに留意すべきだと考えました。
 どういうことかと言うと、人と人とのコミュニケーションは、心を伝える目的で行われるのではない場合もあるということを忘れてはいけないと思うからです。私が教委に勤務して、我が国初の本格的な指導力不足教員研修を担当したときのことです。
 当時私が常に心掛けていたのは、研修に召集された教員たちに対しては、心を、感情を伝えることは決してしないということでした。授業中他の子供の前で子供を追い詰めるような叱り方をしたり、自分の指示が曖昧であることを棚に上げて子供ができないことを責めたり、自分の過ちを認めず強弁して子供に責任転嫁したり、そうした彼らの言動に接していると、同じ教員だったものとして、怒りが沸き上がってきました。
 校長や教頭、同僚の教員が彼らのために一生懸命に検証授業の準備をしているにもかかわらず、失敗の原因について、条件が整っていなかったというような言い訳を耳にすると「ふざけるな!」と口にしたくなってしまったものです。
 でもそうした思いを伝えることはタブーだと考えていました。私の感情が伝わると、彼らは、「○○指導主事は、私のことが嫌いだから」「私のことが気に食わないから」こんなことを言うのだ、と解釈してしまい、自分の欠点と向き合おうとしなくなってしまうからです。
 私は、事実を淡々と指摘することを旨としてきました。「先生が指示した後、すぐに作業を始めた子供は9人しかいませんでした。残りの23人は、周りの子供の様子を窺ったり、何するの?と尋ねたりしてなかなか作業に取り組みませんでした。これは先生の指示が不明確だったということを表しているのです」というような話し方です。
 人が人と接するとき、心は様々に揺れ動きます。そして、その場で求められているコミュニケーションの種類によっては、心を伝えることがマイナスに働くこともあるのです。教員は、TPOによって、今自分に求められているコミュニケーションについて、的確に判断しなければなりません。子供に対しても、保護者に対しても、市民に対しても、同僚に対しても、です。

 

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