ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教員数を増やしてすること

2014-12-13 07:52:40 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「量を重視する背景」12月8日
 連載社説『衆院選 ここを問う』で、学校教育改革が取り上げられました。『地に足の着いた展望を』と題する内容は概ね妥当なものだと思います。特に、『駆け引きの前に目指す教育のビジョンこそ語られるべきだ』という指摘には、先日このブログで「参議院選挙でも言ったけれど」で述べたことと重なることもあり、我が意を得た思いです。
 ただ、一つだけ引っかかることがありました。それは、『これまでの授業スタイルを抜本的に改める指導や、英語による授業などを実施するには、複数の教員による少人数指導が不可欠だ』という主張です。「これまでの授業スタイルを抜本的に改める指導」とは、『子どもが主体的に考え、議論や体験から問題解決の力を養う「アクティブ・ラーニング」への切り替え』を指していると思われますが、こうした学習の成否のカギを握るのは、教員の数ではなく、教員の質、つまり教員の授業力なのです。きつい言い方をすれば、ぼんくらな教員が4人、5人集まっても問題解決型の学習は成り立たないのです。
 私は教員生活のすべての期間、社会科指導の研究に携わってきました。指導主事になってからも社会科を研究する教員の指導を担ってきました。そこでは、30年前から問題解決型の学習、議論や体験を織り込んだ学習過程が研究の中心を占めてきました。私自身、多くの実践と実践発表の機会をいただきましたし、300回を超す授業参観を繰り返してきました。そんな経験の中で、これは主体的な問題解決に成功しているな、と評価できる実践は、10にも満たない少なさでした。そして、成功した授業は、例外なく教員の授業力、とりわけ子供の言動に対する評価力の高さが際立っていました。つまり、平凡な教員では聞き逃し見逃してしまうような、子供のつぶやきや発言の中に潜む「思考の結節点」を的確につかみ、全体にフィードバックし、あたかもスイッチバック式の電車が、折り返すごとに高みに登っていくように、子供の試行の質を緻密なものに高めていく「技」の見事さを見せつけられたのです。
 こうした能力を欠く教員が、いくら一人一人の子供の動向に目を凝らしていても、子供は監視されていると感じるだけで、授業の活性化は期待できません。必要なのは、教員の能力を高めることなのです。正直に言えば、全ての教員にこのレベルを期待するのは非現実的です。5人に1人、10人に1人という割合でスーパー授業力教員を養成して各校に配置することを目指して、教員の研修を充実させることです。それも、従来のような講義や議論を中心とした研修ではなく、授業をし、少人数グループで記録を取り分析を繰り返すという形が望ましいと考えます。そのために、該当教員を一定期間所属校から研修所に籍を移させ、授業と分析に集中できるような制度を創設するのです。そのために、教員定数の増加を行うというような発想の転換が大事なのです。

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