ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

どう捉えればいい?

2019-12-10 07:39:48 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「どう解釈すれば」12月4日
 『国際学力テスト 日本の読解力急落15位』という見出しの記事が掲載されました。『国際的な学習到達度調査(PISA)の2018年の結果』について報じる記事です。記事によると、『日本は数学・科学分野は上位を維持したが、読解力は15位で前回(15年)の8位から急落した』ということです。
 この結果を受け、文科省では、『課題解決型能力を育むため教科横断的な言語活動の充実を図り、国語では多様な文章を読ませ、話し合ったりまとめたりする授業を強化する』のだそうです。どういうことなのだろう、と解釈に悩んでしまいました。
 高等学校においては、文科省の方針は、文学作品の読解から契約書や生徒会規約などの説明的な文章の読解に比重を移すと言われ、そのことについて様々な懸念が表明されているのが現状です。一方、小中学校においては、「多様な文章」を対象にすると言っているのです。PISAは義務教育を終えた15歳が対象の調査なのですから、その結果を受けた対応策ということは小中学校段階で、ということになりますから。
 こうした文科省の考え方は、読解力の育成に当たって基礎段階では文学作品を読むことも効果的だが応用段階では説明的文章を読ませることが適切である、ということなのでしょうか。国語教育の実践家や研究家からは聞いたことがない説なのですが。
 それとも、学習者(児童・生徒)の発達段階から、義務教育段階では文学作品=物語に興味関心を抱くが、高校では興味関心がなくなるということなのでしょうか。これも聞いたことがない話なのですが。
 別の紙面に掲載されていたPISAの問題は、いずれも説明的な文章でした。その対策というのであれば、小中学校から説明文に特化した方が効果的であるように思うのですが。もちろん私は反対ですが。
 さらに、話し合ったりまとめたりする授業を強化する、ということですが、文科省の担当者は、小中学校でどんな国語の授業が行われていると認識しているのでしょうか。私は指導主事として国語教育を担当していた時期があり、いくつもの国語の授業を見てきました。そのほとんどが「話し合ったりまとめたり」する授業でした。私自身が教員時代に行ってきた授業も、大部分が「話し合ったりまとめたり」する授業でした。むしろ、国語科において、話し合わずまとめもしない授業というのがイメージしにくいくらいです。現状の指導に問題があるということなのに現状の指導をさらに強化するという理屈が理解できないのです。
 こんな方針を示されても、教員は困惑するばかりです。
 
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