ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

切り捨ての勧め?

2018-08-03 08:08:19 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「自ら~」7月30日
 人生相談欄で、作家高橋源一郎氏が、54歳女性の『厳しさ知らぬ甥の将来心配』という相談に答えていました。経済的に豊かで20代になっても大学にも行かず働きもせず自宅で趣味三昧の甥の将来を心配する女性に対し、高橋氏の回答は大変ユニークです。
 『それでもいいんじゃないでしょうか。当人がそれで幸せなら。そのことで誰にも迷惑をかけていないのなら。そして、それを続けていけるのなら』『わたしが何かアドヴァイスを考えて、それをあなたが伝えたら、甥ごさんは、その通り実践するかもしれない。「人の言いなり」で「自立」する。変でしょう、それ』『あなたの心配の中に「わたしたち普通の人間のように、いろんな心配事がなく、生きていけるはずがない。そんなのおかしい」という妬ましい感情は入っていませんか』。
 分かるような気はします。しかし、高橋氏のような立場に立てば、学校の教員という仕事は成り立たないように思えるのです。金持ちの子供で、働かなくても90歳まで、家で遊んで暮らせる状況の子供に対しては、勉強しろといったり、自分を成長させるために努力しろということは必要ないということになれば、授業中に漫画を読み、雨が降ったら学校を休んでゲームをしているという子供に注意も指導もしないというのでは、授業も生活指導もできません。
 「長い間には、世の中はどう変わるか分からないよ。ご両親だっていつまでも君を守ってくださるかどうか分からない。自分で生活できるように今から~」などと言えば、「先生は安月給で、PTAの顔色を見てクビにならないようにびくびくして生きているから、僕が羨ましいんでしょ」と言われて、自分が下層階級の人間だからこの子を妬んでいるんだと反省を強いられるのでは、教員のなり手はいないでしょう。
 教員に限らず、人に言われてやるのでは意味がないということになれば、親子の間でも、社会における大人と子供の間でも、「教育」と言う営みが成立しません。よく理解できないけれど、言われたとおりにやってみて初めて自分自身が気付くというのは、「教育」における普遍的な方法の一つだからです。
 それとも高橋氏が言いたいことは、相談者の甥のような「人材」は、国家社会にとって無用だから、そんな対象に教育する無駄を省き、貧しいが意欲と能力がある有為な人材の育成に「教育」を集中投下せよ、という主張なのでしょうか。だとしたら、超国家主義的で、高橋氏の日頃の主張とは正反対のような気がするのですが。

 

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