ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

青年よ銃をとれ?

2022-04-16 08:39:52 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「どう教える?」4月12日
 『それでも生きよ』という見出しの記事が掲載されました。鈴木琢磨氏による、聖書学者小友聡氏へのインタビュー記事です。その中で小友氏は、ドイツ留学中の出来事を語っていらっしゃいます。
 『学生たちと戦争の議論になったことがあった。「戦争が起きたらどうするか?私は『逃げる』と答えました。みんな笑うんです。なぜ自分の国が攻められて戦わないのか。国を守るのが当然だろう、と。日本のクリスチャンは理想的平和主義者が多い。私もそうでした。友人に韓国の牧師がいるんですが、おれは戦車の操縦ができるぞと胸を張る。日本人の牧師が口にしたら袋叩きでしょう(略)いま、ドイツの学生に問われたら私は『逃げない』と答えます。たぶん武器を取ったりはしませんが…」』。
 もし私が今も教員として教壇に立っていたとして、子供から「先生、戦争が始まったら先生はどうしますか」と訊かれたら、私はどう答えるか、思わず考え込んでしまいました。小友氏が、「日本のクリスチャンは~」とおっしゃっていますが、クリスチャンに限らず、日本人の多くは理想的平和主義者でしょう。勇ましいことを口にする保守派と言われる人々でも、我が子を戦場に送るか、と尋ねられれば、出来れば前線で銃をもって戦ってほしくはない、というのが本音だという方の方が圧倒的に多いでしょう。
 私はそうした雰囲気の中で人生を送ってきました。教員になり、学校の教員の中で唯一の職員団体非加入者として、「哀れな右翼」のようにさえ言われたことがある私ですら、自分が銃をもって戦うとか、教え子に祖国防衛のため銃を取れ、などという考えは全くありませんでした。
 このブログで、戦争の悲惨さばかりを強調する情緒的過ぎる平和教育への批判を繰り広げてきましたが、そこで主張してきたことも防衛力増強などではなく、戦争の歴史に学び、情報統制や言論弾圧など戦争の兆候を見逃さず、自由と民主主義の危機に敏感になることを説くものでした。それは、我が国の反動化、専制化を憂えるものであり、我が国が自由・民主・法治という価値観をしっかりと守ってさえいれば、再び戦争への道を歩み出すことはないという発想でした。
 しかし、ロシアのウクライナ侵攻によって、いつ祖国防衛が喫緊の課題となるか分からない時代を迎えました。とはいえ、私自身の気持ちを正直に言えば、今でも日本のために、大切な家族を守るためにであっても銃を取るという決意はもてないのです。そんなことでいいのかと思う反面、いくら時代が変わっても銃を取ることを子供に促すようなことをしてはいけない、そんなことをすれば保守反動の好戦家の思う壺だというような思いも捨てきれません。
 現職教員の皆さんは、どう答えますか。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あなたは強い子だから | トップ | はびこるカルト組織 »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事