8月10日、津波による甚大な被害が出た宮古市・田老地区で、観光協会による「学ぶ防災」と称するガイドツアーに参加しました。
田老地区には、江戸時代、明治時代、昭和初期と度重なる津波被害により大半の家が流出し多くの犠牲者を出した悲劇の歴史があります。その教訓から、田老町は”万里の長城”とも絶賛される総延長2.5kmにも及ぶ高さ10mの二重の防潮堤を建設しました。しかし、この防潮堤をも津波は軽々と超えてしまったのでした。
世界最強と言われる防潮堤を建設し、避難経路の整備も進め「防災の町」宣言をするまでになったが、それらを過信した気のゆるみが取り返しのつかない被害を引き起こしたのではないかと、ガイドさんは主張されていました。「この防潮堤を津波が超えるはずはない」と、再び海の近くに家を建て始め、警報があっても避難が遅れたというのです。「津波てんでんこ」の言葉に込められた「自分の命は自分で守る」意識の重要性を強調されていました。
その後、辺りが一面壊滅状態の中で唯一残った「たろう観光ホテル」6階において、その場から撮影した津波被害のビデオを見て説明を受けました。被災者の方々が住まわれる仮設住宅があり、また、高台に住宅地が建設されつつありました。「愛編む宮古」のメンバーの中にも家を流され、仮設住まいの方がいらっしゃいます。
復興まだ道半ば。被災地の方は「自分たちが忘れられるのではないか」ということを恐れています。忘れないこと、そして自分にできることを探ることを続けていこうと思います。
田老地区には、江戸時代、明治時代、昭和初期と度重なる津波被害により大半の家が流出し多くの犠牲者を出した悲劇の歴史があります。その教訓から、田老町は”万里の長城”とも絶賛される総延長2.5kmにも及ぶ高さ10mの二重の防潮堤を建設しました。しかし、この防潮堤をも津波は軽々と超えてしまったのでした。
世界最強と言われる防潮堤を建設し、避難経路の整備も進め「防災の町」宣言をするまでになったが、それらを過信した気のゆるみが取り返しのつかない被害を引き起こしたのではないかと、ガイドさんは主張されていました。「この防潮堤を津波が超えるはずはない」と、再び海の近くに家を建て始め、警報があっても避難が遅れたというのです。「津波てんでんこ」の言葉に込められた「自分の命は自分で守る」意識の重要性を強調されていました。
その後、辺りが一面壊滅状態の中で唯一残った「たろう観光ホテル」6階において、その場から撮影した津波被害のビデオを見て説明を受けました。被災者の方々が住まわれる仮設住宅があり、また、高台に住宅地が建設されつつありました。「愛編む宮古」のメンバーの中にも家を流され、仮設住まいの方がいらっしゃいます。
復興まだ道半ば。被災地の方は「自分たちが忘れられるのではないか」ということを恐れています。忘れないこと、そして自分にできることを探ることを続けていこうと思います。