ゆきちゃん通信++日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日を
母親(tomi)の目を通してお伝えします。

ゆきちゃん通信 No30 特別号 

2012年12月01日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2012 年 12月 10日発行

ゆきちゃん通信 No30 

前回の通信ができた時には、由紀子も大人になって、
これからは平和な毎日が続いていくと思っていました。

でも、そうではありませんでした。

私が自分の人生を模索して、
由紀子からちょっと気持ちが離れた隙に、
悪夢のような事が起こってしまいました。

取り返しが付かない・・・

正直、まだ受け入れきれていない現実です。



網膜剥離


由紀子が網膜剥離をおこしていることがわかって、
5月25日に両眼の手術を受けました。

残念ながら、右眼は剥離を起こしてから長期間過ぎていたため、
視力を回復することができませんでした。

左眼も半分以上剥離を起こしていて、
なんとか網膜再建はできましたが、
再剥離の可能性があるために、
眼の中にシリコンオイルを入れることになりました。

しかも、レンズの役目をする水晶体も除去した為に、
残った左目の視力は強度の遠視と近視で、
近くも、遠くも見えにくい状態になってしまいました。

原因は、自傷行為で頭を激しく叩き続けたことによるものでした。

実は2年前、由紀子はパソコンをしている最中に
「見えない!」と訴えたことがありました。

今考えれば、それが最初の網膜剥離の症状だったと思うのですが、
その時は、脳の異常を心配して脳神経外科でCTを撮りました。
結果は異常なし!

てんかんの発作に一時的に視野が歪んだりすることがあると聞いて、
すっかりそうだと思い込んでしまいました。

なぜあの時に眼科に連れて行かなかったのか、
あの時なら、せめて左眼だけでも救ってやれたかもしれないと・・・
悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれません。

手術直前の状態は、
右眼はすでに失明し、
左眼の視野も4分の1程しか残っていませんでした。

好きなジグソーパズルをしなくなったこと、
パソコンの入力ができずに私に手助けを求めたこと、
振り返えれば、由紀子はたくさんのSOS を発信していたのに、
私は何も気づいてやれませんでした。

眼がだんだん見えなくなっていく途中の怖さを
由紀子が一人でどう受け止めて行ったのか・・・

そのことを思うと胸が張り裂けそうになります。

本当に怖かったと思います。不安だったと思います。

私はダメな母親です。

この後悔は一生消えることは無いと思います。


手 術


網膜剥離の手術は、普通の人は局所麻酔でやれる手術なのですが、
自閉症の由紀子の場合は全身麻酔が必要でした。

大村の国立医療センターでは、全身麻酔の手術の空きがなく、
長崎大学病院での手術となりました。

通常は術後一週間、うつ伏せの姿勢を保たなければなりません。
でも、由紀子の場合はシリコンオイルを入れたので
横向きの姿勢でOKがでました。

それでも、2週間、ずっと横向き!

普通の人でも大変な事なのに、由紀子は本当によくがんばりました。

術後のパニックを覚悟して個室への入院や、
家族で付き添いの計画を立てたり、拘束の承諾書を書いたりと
できる限りの準備をしましたが、
一度もパニックは、ありませんでした。

手術後はほとんど見えない状態なのに
それでも私たちに向かって笑顔を見せてくれる由紀子。


この笑顔が私たち家族の救いでした。


激太りで糖尿病!

見えない由紀子の楽しみは食べること。

パニックを起こさせずに生活する為には好きなものを食べさせる・・・

そんな生活を2ヶ月ほど続けていたら体重が5キロも増えてしまいました。

そして、定期的に受けている血液検査で
血糖値がとんでもない数値に跳ね上がっていることが解かりました。

糖尿病!!

「この数値は合併症が起きてもおかしくない数値です。」
と言われて震え上がってしまいました。

これ以上の障害はいらない!

さっそく糖の吸収を遅らせる薬を開始し、
血液検査も月一回となりました。

それからは、ダイエット!ダイエット!

完全な食事制限で3ヶ月で5キロ体重を落とすことができました。

その結果、糖尿の数値も正常値まで下がって、一安心です。

「お母さんも、これでわかったと思いますが、
娘さんは太ると確実に状態が悪くなります。
これからも、体重管理はしっかりしてあげてください!」

これ、ドクターのお言葉です。

はい!よく解かりました!!


さつき園とのお別れ

退院して3ヵ月後、目の状態が落ち着いたので、
そろそろさつき園へ復帰したいと連絡をしました。

でも、さつき園からの回答は
「母親の付き添いがあれば受け入れるが、
由紀子単独での受け入れは無理」との事。

理由は

「さつき園は刺激が多い環境なので、
由紀子のパニックが予想される。
自傷行為で再度の網膜剥離を起こした時の責任が取れない。」

というものでした。

思いも寄らない答えに私はすっかりうろたえてしまいました。

由紀子はずっとさつき園に通い続けるものと思い込んでいましたし、
由紀子自身もさつき園に戻れると信じて復帰を楽しみにしているのに・・・。

どうすればいいのか解かりませんでした。

その後、同じ法人の施設への移動も考えましたが、
その施設からも受け入れを断られてしまいました。

このときのショックはこの紙面には書ききれないほど大きく、
辛いものでした。

でも、時間が経ち、少し気持ちが落ちついた今は、
あの時さつき園が受け入れを断った理由も少しは理解できる気がします。

多分、由紀子のことを考えてくださっての答えだったのだと思います。

さつき園には思春期のつらい時期を助けていただきました。

感謝しています。

4年間、本当にお世話になりました。

そして、たくさんの楽しい思い出をありがとうございました。


新しい施設との出会い

在宅生活を余儀なくされてしまった由紀子ですが、
まだ19歳です。

このままの生活で良いわけがありません。

私は由紀子の新しい居場所と仲間を探すことにしました。

そして、たくさんの方の助けを借りて、
おかげさまでとても良い施設と出会うことができました。

由紀子が現在通所しているのは、諫早市にある
「デイサービスN」という施設です。

事情を伝えて受け入れの打診をしたところ、
すぐに了解をいただきました。

面接に行ったときに
「お母さん、大丈夫ですよ!」と
やさしい笑顔で言って頂いた時には、
感謝で涙がでました。

由紀子も初日の朝こそ、
必死に私にしがみついてきましたが、
迎えに行ったときにはすっかり笑顔になっていました。

現在は元気に週に2日、
大村から諫早まで40分かけて通所をしています。

送迎担当は私ですが、
由紀子が通所を楽しみにしていてくれるので
長距離の運転もがんばっています!!



施設のドライブで飯森町の海に連れて行ってもらいました。
浜辺をうれしそうに歩いていたそうです。


現在の由紀子の様子

手術から半年が過ぎました。
右眼の視力は失いましたが、
慣れた場所であれば左眼だけでも不自由なく動けるようになりました。

ただ、好きなことのほとんどが視覚的なものばかりだったので、
失った楽しみも多くあります。

特に強度の遠視で手元がよく見えないので、
本を読むなどの細かい作業はできなくなりました。

でも、由紀子はめげることなく、
それなりの楽しみを見つけて意欲的に暮らしています。

心配した糖尿と肝臓の数値もダイエットのおかげで落ち着いています。

新しい施設にも徐々に慣れて、
また自分の居場所を作り始めたところです。


また、がんばるので応援してください!!by由紀子


編集後記

人生には思いも寄らない事が突然起こります。

そして、負の連鎖の怖さを、今回の騒動で身にしみて感じました。

ドミノ倒しのように、今まで積み上げてきたものが、
音を立てて崩れていきました。

むなしくて、悔しくて!

今回は本当にどん底まで落ちた気がします。

でも、ここまで落ちれば、もう這い上がるしかない!

どこかで聞いたような台詞が頭の中に浮かんできました。(笑)

今、やっと、バラバラに散らばったドミノを、
一つずつ拾って並べなおし始めたところです。

元の状態に戻すのに、何年かかるのか、わかりません。

戻せないものもたくさんあります。

でも、それでも、由紀子と一緒に、またがんばろうと思っています。

ただ、この「ゆきちゃん通信」は、前号でお知らせしたとおり、

来年の二十歳の誕生日に発行する号で最終回とさせていただきます。

次号は、ずっと由紀子を見守ってくださったみなさまに感謝の心を込めて、

明るい話題でいっぱいの楽しい通信にしたいと思っています。

どうぞお楽しみに!

=END=
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