これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。
2004年3月24日発行
ゆきちゃん通信 No20 その2
セッション
2月に由紀子がお世話になっている先生方3人が集まってくださって
音楽のセッションをしました。
会話が苦手な由紀子ですが
音楽でならばコミュニケーションの輪を広げて行く事ができるはずだと、
みなさん思ってくださっています。
その3人の先生に囲まれて、
一緒に音楽を楽しめた幸せな時間でした。
音楽を一人で楽しむだけでなく、
たくさんの人と楽しむ事ができるようになってくれる事を願っています。
その3人の先生方の紹介です
S木先生
交流学級の担任の先生です。
由紀子をクラスの一員としてしっかり受け入れてくださいました。
いつも少し離れた所からクラスの子どもたちと由紀子の関係を見守っていて
関係が崩れそうになると素早く対処をしてくださいました。
由紀子に障害があってもそれを特別な存在とせず、
自然体で関わってくれる3組の空気は
先生の姿勢そのものでした。
由紀子がパニックを起こすたびに5組まで来て、
私にその原因を確認してくださいました。
由紀子を理解しようとしてくださる気持ちが伝わってきて
本当に嬉しかった母です。
1年間ありがとうございました。
H崎先生
由紀子に音楽のレッスンをしてくださる先生です。
月に一度JRに乗って先生の所までレッスンに通っています。
音楽は好きなくせにこだわりも強い由紀子は
先生とレッスンを始めた頃、
泣き叫んでピアノの蓋も開けさせないほどの抵抗をしました。
何もレッスンできないままで終ってしまうことが数回続きましたが、
先生は由紀子の中の可能性を信じて根気強く接してくださいました。
そして今では由紀子も心を開いて
一緒に音楽を楽しめるようになりました。
あのひどいパニックを潜り抜けてできた関係です。
きっとこの先長く由紀子の音楽の世界に関わってくださると思います。
K村先生
由紀子が大好きな担任の先生です。
この1年間不安定だった由紀子をしっかり支えていただきました。
由紀子の障害を丸ごと受け止めてくださって
いつも由紀子が落ち着けるように配慮をしてくださいました。
先生と一緒なら頑張れる事がたくさんありました。
由紀子の成長の芽を見逃さず
いろんな事に挑戦させてくださる先生で
パソコンが好きだとわかると将来に役立つようにと、文章入力
を指導してくださいました。
今では一人でワードを使って長文の入力ができるようになりました。
先生との関係は由紀子の描く絵の中にもしっかり表れています。
以前は絵の中に由紀子だけしか描かれる事はなかったのに、
夏ごろからはいつもK村先生が一緒に描かれるようになりました。
私ですら頼まなければ描いてもらえないのに…。
これは母のひがみです。(笑)
さようなら先生!
こんなに好きな先生なのにお別れをしなくてはならなくなりました。
3月は由紀子にとって本当に淋しい時です。
この数年ずっと大好きな人とお別れをしてきました。
だから、今回も由紀子は早い段階から
先生との別れを感じ取っていたようです。
必死に先生との別れから目をそらそうとしている姿がかわいそうです。
いっそ泣いてくれれば早く立ち直れるのに・・・と思う母です。
先生!
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
編集後記
転校をして一年が過ぎようとしています。
思春期の由紀子の変化に振り回された一年でした。
そして、もう一度由紀子の障害について
見直しをする事ができた一年でした。
自傷が始まり、こだわりが強くなっていく由紀子を見て、
自閉症がどれほど暮らしにくい障害かということを
再認識させられました。
そんな時に主治医の先生や、K村先生が
私の話を聞いて支えてくださいました。
だから、ここまで頑張って来られた。
そんな気がしています。
この時期に長崎に来る事ができて本当によかったと思っています。
だた、由紀子と私を支えてくださっていたK村先生が
転勤されることになりました。
受け持っていただいた時から
一年で転勤かもしれないと聞いていたので
覚悟はしていましたが、
本当に幸せな一年だったので、
「あと一年・・・」、と思わずにはいられませんでした。
別れと出会いを繰り返して由紀子の理解者が増えていくのだ!と、
今年も自分に言い聞かせている母です
=END=
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。
2004年3月24日発行
ゆきちゃん通信 No20 その2
セッション
2月に由紀子がお世話になっている先生方3人が集まってくださって
音楽のセッションをしました。
会話が苦手な由紀子ですが
音楽でならばコミュニケーションの輪を広げて行く事ができるはずだと、
みなさん思ってくださっています。
その3人の先生に囲まれて、
一緒に音楽を楽しめた幸せな時間でした。
音楽を一人で楽しむだけでなく、
たくさんの人と楽しむ事ができるようになってくれる事を願っています。
その3人の先生方の紹介です
S木先生
交流学級の担任の先生です。
由紀子をクラスの一員としてしっかり受け入れてくださいました。
いつも少し離れた所からクラスの子どもたちと由紀子の関係を見守っていて
関係が崩れそうになると素早く対処をしてくださいました。
由紀子に障害があってもそれを特別な存在とせず、
自然体で関わってくれる3組の空気は
先生の姿勢そのものでした。
由紀子がパニックを起こすたびに5組まで来て、
私にその原因を確認してくださいました。
由紀子を理解しようとしてくださる気持ちが伝わってきて
本当に嬉しかった母です。
1年間ありがとうございました。
H崎先生
由紀子に音楽のレッスンをしてくださる先生です。
月に一度JRに乗って先生の所までレッスンに通っています。
音楽は好きなくせにこだわりも強い由紀子は
先生とレッスンを始めた頃、
泣き叫んでピアノの蓋も開けさせないほどの抵抗をしました。
何もレッスンできないままで終ってしまうことが数回続きましたが、
先生は由紀子の中の可能性を信じて根気強く接してくださいました。
そして今では由紀子も心を開いて
一緒に音楽を楽しめるようになりました。
あのひどいパニックを潜り抜けてできた関係です。
きっとこの先長く由紀子の音楽の世界に関わってくださると思います。
K村先生
由紀子が大好きな担任の先生です。
この1年間不安定だった由紀子をしっかり支えていただきました。
由紀子の障害を丸ごと受け止めてくださって
いつも由紀子が落ち着けるように配慮をしてくださいました。
先生と一緒なら頑張れる事がたくさんありました。
由紀子の成長の芽を見逃さず
いろんな事に挑戦させてくださる先生で
パソコンが好きだとわかると将来に役立つようにと、文章入力
を指導してくださいました。
今では一人でワードを使って長文の入力ができるようになりました。
先生との関係は由紀子の描く絵の中にもしっかり表れています。
以前は絵の中に由紀子だけしか描かれる事はなかったのに、
夏ごろからはいつもK村先生が一緒に描かれるようになりました。
私ですら頼まなければ描いてもらえないのに…。
これは母のひがみです。(笑)
さようなら先生!
こんなに好きな先生なのにお別れをしなくてはならなくなりました。
3月は由紀子にとって本当に淋しい時です。
この数年ずっと大好きな人とお別れをしてきました。
だから、今回も由紀子は早い段階から
先生との別れを感じ取っていたようです。
必死に先生との別れから目をそらそうとしている姿がかわいそうです。
いっそ泣いてくれれば早く立ち直れるのに・・・と思う母です。
先生!
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
編集後記
転校をして一年が過ぎようとしています。
思春期の由紀子の変化に振り回された一年でした。
そして、もう一度由紀子の障害について
見直しをする事ができた一年でした。
自傷が始まり、こだわりが強くなっていく由紀子を見て、
自閉症がどれほど暮らしにくい障害かということを
再認識させられました。
そんな時に主治医の先生や、K村先生が
私の話を聞いて支えてくださいました。
だから、ここまで頑張って来られた。
そんな気がしています。
この時期に長崎に来る事ができて本当によかったと思っています。
だた、由紀子と私を支えてくださっていたK村先生が
転勤されることになりました。
受け持っていただいた時から
一年で転勤かもしれないと聞いていたので
覚悟はしていましたが、
本当に幸せな一年だったので、
「あと一年・・・」、と思わずにはいられませんでした。
別れと出会いを繰り返して由紀子の理解者が増えていくのだ!と、
今年も自分に言い聞かせている母です
=END=