ゆきちゃん通信++日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日を
母親(tomi)の目を通してお伝えします。

ゆきちゃん通信 No15

2001年02月22日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2001年12月24日発行


ゆきちゃん通信No15


寒くなったなあ…と思ったら雪がチラチラとふっていました。
もうクリスマスですね。
去年まで無関心だった由紀子が
クリスマスがどうゆう物かにやっと気がついてきました。

『クリスマス…ケーキ…サンタさん…プレゼント!』

『サンタさん来るかなあ?』

今年は楽しいクリスマスになりそうです。



O上先生と本当の再会



覚えていらっしゃるでしょうか?

ゆきちやん通信 No4で
「O上先生との再会」と題して書いた
再会の時に大パニックを起こして
先生に申し訳ないことになってしまった‥・
と、いうお話。

いつかまた先生と由紀子が会える日が来ることを
心から願っていました。

そして先日、思いがけずO上先生から福江に来られると、
うれしい連絡を頂きました。

この2年の間にひでき先生やネーネーとの再会を
クリアしてきた由紀子です。

もしかしたら今度はうまくいくかもしれない‥・
そう思いました。

約束の朝、
由紀子にO上先生と会う事を告げると
意外とあっさり『うん!』と答えてくれました。

この由紀子の変化にあらためて驚きながら
家を出発したのですが、約束の場所に着いて、
いざ車を降りようとしたその時です。

由紀子が急に
『O上先生はいないよ!先生はいない!』
と大きな声で叫んだのです。

そしてシートにしがみついて降りたくないと無言の抵抗です!

でも、それは長い時間ではありませんでした。

『先生は待っているよ!だいじょうぶ!がんばれ!』
という私の言葉に何かしら吹っ切ったように
車から降りてきました。

そして、不安そうに私の後ろを歩きながら
ずっと保育園時代のお友達の名前をとつぶやき続けました。

私も忘れてしまっていた名前が次々と出てきます。

きっと由紀子の頭の中で封印されていた
保育園時代の思い出が溢れ出していたのかもしれません。

そして先生の姿が見えたその時、
由紀子は『O上先生』と一言小さな声でつぶやいていました。

でも、もう泣いたり逃げ出したりはしませんでした。

しばらくは視線を合わせることはできませんでしたが、
先生の側で少してれながらうれしそうな由紀子の姿に
私は本当にホッとしました。

その由紀子の成長を先生が喜んでくださったのは
言うまでもありません。

先生とお別れした後、
『O上先生いたね!よかった!』
と笑顔で言った由紀子の一言が
心の成長を感じさせてくれました。

「今度はO上先生に会いに行こうね」

由紀子と話しながら家路につきました。



がんばりニュース

NO1 たて笛が上手になりました。


福江小学校では3年生になると
市内の小学校の音楽祭へ参加します。

その発表曲の中にたて笛の合奏がありました。

鍵盤ハーモニカは得意な由紀子ですが、
たて笛はとても難しくて音すらきちんと出ません。

これは困った!と、思っていたら

ナント!吹けるようになったのです。

たくさん練習をした由紀子ですが、
その陰にはお友だちの暖かい応援がありました。

音楽の時間に、いつも由紀子の笛の練習に付き合ってくれ、
少しでもうまくなるとみんなで喜んでくれた子ども達が
由紀子の力を引き出してくれたのです。

音楽祭の時、舞台上の由紀子の顔は自信に満ち溢れていました。


NO2 持久走大会!


毎年頭の痛い持久走大会が今年もやってきました。
今年はみんなよりも1周半は遅れそう‥・
という恐ろしい連絡を頂き覚悟して参観に行きました。

でも、そこで目にしたのはとても心温まる光景でした。

スタートした直後から応援の子ども達がみんなで

『ゆきちゃんチャチャチャ!
がんばれチャチャチャ!』

の大合唱。

そして由紀子がみんなから遅れ始めると
交流学級のお友だちが交代で伴走してくれました。

しかも、のこり半周の所からは
交流学級の担任のT中先生が一緒に走ってくださり
ゴールでは由紀子をしつかり受け止めてくださいました。

校長先生、Y田先生、保健室のM原先生と、
いつも由紀子を応援してくださる先生方に見守られて
笑顔でゴール!

由紀子は本当に幸せな子だと思いました。


編集後記

今回は由紀子が成長したことをいっぱい書きました。
本当はこの陰たくさん問題や課題もあるのですが、
あえてうれしいことばかり集めてみました。
得意の『よい事探し』です。

今年は懐かしい先生方とお会いすることの多い年でした。

由紀子が自閉症と判定された時に
チェックを担当してくださった三人の先生に
別々の場所でお目にかかり、

この十一月には療育センターで
最後までお世話になった心理の先生にも
お会いすることができました。

皆さん私がつらかった時期を支えてくださった先生方です。

療育をはじめた頃、
脳の発育は十歳ぐらいまでが大切・・・と、
聴いた覚えがあります。

由紀子もこの二月で九歳です。

まるで、区切りの時を教えてくださっているような気がしています。

思春期に向かっていく由紀子の育て方を
再チェックする時期なのでしょう。

アルバムを開いて療育センターの玄関を初めてくぐった頃の
三歳の由紀子の写真を見ながら、

これからは何を手助けしてやるべきなのかと
あらためて考えるこの頃です。


=END=
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ゆきちゃん通信 No14

2001年02月21日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2001年11月1日発行



ゆきちゃん通信No14


由紀子の快挙をお知らせします。
親ばかで本当にすみません。
でも、我が家にとっては大ニュースです。

第3回 国際マルチメディアコンテスト
小学生の部 最優秀賞受賞




パソコンが好きな由紀子のために
お絵かきソフトをパソコンに入れたのが七月のことでした。

そのソフトを使って由紀子が夏休み中に描いたのがこの魚の絵です。

担任の先生のすすめで
学校に募集がきていたコンテストに軽い気持で応募したのですが、

結果はびっくり!

なんと「最優秀賞」の受賞でした。

主催者の方から電話があってから家族はもう大騒ぎです。




今回の受賞で一番嬉しかった事は
障害のあるなしに関係なく由紀子の作品を選んでいただいた事でした。

総評で
「一つ一つの魚をいかにも楽しんで描いた事を感じさせてくれる作品です。」

と誉めていただいたのですが、
その言葉通り、由紀子はこの絵を描く時とても楽しそうでした。

側で見ている私も今度はどんな魚が生まれてくるのだろうとワクワクして
しまうほどでした。

独特の魚の姿・・・

なんとなく由紀子の体型に似ていますよね。

そしてもう一つ嬉しかった事は
由紀子の受賞を学校中の先生方がとても喜んでくださった事です。

初めの頃、由紀子は何度説明しても
受賞の意味が理解できずに無関心だったのですが、
学校でたくさんの先生方に「おめでとう」と
声をかけていただくうちに漠然とですが、
何か特別な事が起きている事を感じたようです。

Y田先生にも表彰状の受け取り方の練習を通して、
皆さんの前で表彰状を受け取ることが
どんなに嬉しい事なのかを教えていただきました。

10 月27 日ワクワクドキドキで挑んだ授賞式。
もしかしたら表彰状を受け取る時に
由紀子がパニックを起こしてしまう事も考え、
主催の方々に自閉症である事を告げて
私が受け取る事もできるように打ち合わせていたのですが、

名前を呼ばれると由紀子は自分から階段を上り、
堂々と賞状を受け取りました。

先生と練習をしたとおり
「1 右手、2 左手、3 引いて、4.礼」
みごとでした。

そして最後まで会場には
由紀子が自閉症である事は告げられませんでした。

普通の小学校3 年生として受賞したのですから
これは当たり前の事なのですが、
自閉症だから賞をもらえたのかもしれないとか、
自閉症だから授賞式でも特別に・・・・とか、

ついつい障害に結び付けて物事を考えてしまう私は
由紀子に障害があることで周りから優しくしていただいたり、
その事に甘えさせていただいたりする事に
慣れてしまっているのかも知れません。

この由紀子の姿を見て、
もしかしたら自分の中にこそ社会とのバリアがあるのかもしれないと
考えさせられてしまいました。

心のバリアフリー・・・
うまく表現できませんが、
この日の由紀子はとても立派でした。

がんばっている由紀子に置いてきぼりにされないように
母も成長しなければいけないと思っています。

=END=
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ゆきちゃん通信 No13

2001年02月20日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2001年9月17日発行


ゆきちゃん通信No13

暑かった夏が過ぎ、
まだ青いススキが原っぱで揺れるようになりました。
秋の気配がすぐそこに感じられます。
今年の夏休みは去年とは少し違う夏休みでした。
できるようになった事や楽しかった思い出がいっぱいです。


なつやすみ 楽しかったぁ!
キャンプにいきました。うみではじめてかおを
みずにつけられるようになりました。
やまのぼりもプールもとてもたのしかったです。 ゆきこ


いつも由紀子の夏休みは自閉症協会の療育キャンプから始まります。

毎回天気に泣かされていましたが、
今年は3日間お日様ガンガンの中でキャンプを満喫してきました。

今年のボランティアさんは「さちこ先生」。
由紀子はすぐに名前を覚えて部屋に戻ってくるたびに
「さちこ先生と○○した」と楽しそうに報告してくれました。

キャンプは由紀子の成長の場なのですが,
今回は海水浴の時にそのチャンスはやってきました。

今年の夏の目標はプールで水に顔をつけられるようになること。

私は少し荒療治をしてでも
この目標をクリアさせようと決心していたのですが、
思いがけずこの海水浴であっけなくクリアできたのです。

それは由紀子が腰ほどの深さの所でさちこ先生と遊んでいた時のことです。

とても楽しそうにしていた由紀子が足を滑らせて
あっという間に頭まで水に浸かってしまったのです。

海岸で見ていて「これはきっと泣く!」そう思った私は、
わざとオーバーに手を叩いて
「すごい!お顔がつけられたね!」
と喜んで見せました。

はじめは泣きそうな顔をして立ち上がったゆきこでしたが、
のりやすい性格は私の思惑通り…、
気持を立て直してまた遊び始めたのです。

そして、その後には自分から顔を水につけて見せてくれました。
スタッフの方達にも誉められて得意満面の由紀子でした。

海水浴だけではありません、山登りもがんばってきました。

毎年、権現山に登るのですが
行動がゆっくりで歩くのに時間がかかる由紀子は
今年も一番最後にゴールしたようです。

でも、途中一度も弱音を吐かず
自分のペースで歩いた事を誉めていただきました。

先にゴールしたみんなに拍手で迎えてもらった事で
達成感をいっぱい感じたのでしょう、
キャンプの話をすると
「海で泳いだの!山に登ったの!」
と楽しかった事として話してくれます。

楽しい事がいっぱいのキャンプでしたが、
実は最終日のプールで由紀子は足を捻挫して、
みなさんに大きなご迷惑をおかけしてしまいました。

特に担当してくださったさちこ先生やリーダーの先生には
本当に心配をおかけして申し訳なかったと思っています。

帰宅して1週間ですっかり直りました。
皆さん本当にゴメンナサイ!


こげパンゆきこ

キャンプで水に顔がつけられるようになった由紀子は
福江に戻ってからプール通いが日課になりました。

プールに行く事を楽しみにして
毎日のラジオ体操やお勉強も意欲的にがんばりました。

苦手だったゴーグルもつけられるようになって、
プールでの遊びもどんどん広がっていきます。

浅いプールで浮けるようになった数日後には
バタ足で進めるようになり、
輪くぐりや水中ジャンケンもできるようになりました。



夏休みの後半では深いプールを自由に動き回っていました。

みんなと同じ事ができるようになった自信からでしょうか、
誰かと一緒に遊びたいという気持も
このプールで少し育ったような気もします。


この写真の笑顔が出ているときの由紀子は
心が成長している時なのです。

毎日通ったプールの勲章は、
この真っ黒になった由紀子の肌です。

登校日に交流学級のT中先生に
「こげパン」という新しいニックネームをつけていただきました。
ぴったりでしょう?

でも、この黒さ、若い由紀子はいいのですが、
毎日付き添って通った母は
取り返しのつかない事になってしまったような・・・。
どうしよう!



ねーねーと一緒

ねーねーが夏休みで帰ってきました。
たった4 日間でしたが、
カラオケに行ったり花火大会をしたり
楽しい思い出を由紀子に残していってくれました。

再会が苦手な由紀子も、
ねーねーに関しては迎える時の表情が
ずいぶんやわらかくなりました。

カラオケはみんなで
由紀子の知っている曲を中心に歌ったので、
マイクを握りノリノリの由紀ちゃんでした。

名探偵コナンの曲「謎」では、
運動会でのダンスまで披露して大うけでした。

最後の夜にやった花火大会も
姉妹3人で大騒ぎをしながら本当に楽しそうでした。

この3人、歳が離れているせいか
私から見てもあまり
「姉妹(きょうだい)」を感じることがなかったのですが、

この夜は「やはり姉妹なんだなぁ…」と
改めて感じることができました。

それだけ由紀子が大きくなったという事なのでしょうか?

私にとっても穏やかで幸せな夜でした。

そうそう!ねーねーのおみやげは
偶然にも「こげパン」の縫いぐるみだったのです。

なんとタイムリーな!


そして、大好きなねーねーが帰る日、
由紀子が言ったお別れの言葉は

「はやく帰って来てねぇ」

でした。


編集後記

お友達と遊ぶことにあまり関心をしめさない由紀子とは
ついつい家の中にいる事が多くなります。

本やビデオそしてパズル、
それがあれば由紀子は機嫌よく一日を暮らせるのです。

去年まではそんな日が続いてしまう夏休みでした。

それは楽であると同時に
長い休みなのに何もさせていないという焦りと不安がつのります。

だから私は夏休みが嫌いでした。

でも、今年はちがいました。

母子分離が進んで私の指示が
由紀子に入るようになったからでしょうか、
いろいろな事に親子で取り組めるようになったのです。

毎日のプールはもちろん、
自由研究の為にスーパーへ洗剤の値段を調べに行ったり、
昼食を一緒に作ったり、
毎日忙しいほどでした。

体力的にはとても大変な四十四日間でした、
充実感のある夏休みになりました。


由紀子がパソコンで書いた絵です。

=END=
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ゆきちゃん通信 No12

2001年02月19日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2001年3月31日発行


ゆきちゃん通信No12


うっとうしい梅雨!
福江はずっと雨が続いています。

ゆきちゃん通信発行の間隔が少し開きすぎたかな?
と反省している母です。

由紀子は三年生になっても毎日元気です。

私はこの通信をホームページにしたいと
連日ページ作りに励んでいるのですが、
さて公開までこぎつけることができるでしょうか…?

今回の通信ちょっと新鮮味に欠ける話題もありますが、
由紀子の生活をお伝えします。


成長の運動会

五月晴れの中、今年も運動会が行われました。
一番のできは、ダンス。

運動会の練習が始まった頃から
家の鏡の前で怪しげなポーズを繰り返す由紀子に
『それ何?』と問い掛けると

一言『名探偵コナン』

????

その「なぞ」が解けたのは今年のダンスの曲名を聞いたときでした。

アニメ「名探偵コナン」のテーマ曲『謎』。

ナルホド!本当に「なぞ」でしたね。

実はこの二年間、
由紀子はどんなに頼んでも運動会のダンスを
家で見せてくれる事はありませんでした。

私はこの変化が嬉しくて早速レンタルでCDを借りて来て、
再度のお願いです!
するとさっと、ポーズをとって
イントロから最後まで見事に躍てくれました。

むずかしいステップも毎日練習してばっちりです。

自信たっぷりで迎えた運動会の当日。



その出来はもう最高!!
お母さん大拍手!!

そして、今年の運動会の目標は
「徒競走を最後まで一人で走りきる」でした。

昨年は途中で立ち止まってしまい
先生の力を借りてのゴールだったからです。

何とか今年はこの目標をクリアさせてやりたい!

そこで運動会前日、家
族全員で小学校の校庭まで行ってコースを一緒に走る事にしました。

テントが張られ昨日までとムードの違う運動場に戸惑う由紀子は、
落ち着かず不安そうに走りました。

キョロキョロして止まりそうになるのを
“まーまー”に助けられながらやっとゴールです!

自閉症の子どもにとって運動場にテントが立っただけで
そこはもう未知の場所になってしまう事を実感しました。

「もう1 回」・・・お父さんに促されて2 回目にチャレンジ。

明らかに由紀子の顔に余裕が見えました。
(経験が自信になるのです。)

たまたま学校にいらした大好きな校長先生の声援を受けて
由紀子は笑顔でした。

そして運動会の日、
家族や先生方の見守る中を見事に最後まで一人で走りました。

順位?

そんな事どうでもいいんです。

この笑顔を見てください。


新しい環境に弱い由紀子ですが、
準備をしてのぞめばこんなに楽しめるのです。

そしてこの日、
運動会にきてくださったO野先生に会えるという
大きなごほうびをもらった由紀子でした。

私、由紀子のこの笑顔が大好きです。


イメージチェンジ!しました。

ずっとトレードマークだった由紀子の「ちょんまげ」に
とうとうさようならをしました。

きっかけは“ねーねー”からの電話でした。

「もう赤ちゃんじゃないんだから、
いつまでもちょんまげにしていないで、
他の髪型にしたら?!
私が帰ってくるまでにちょんまげ切ってよ!」

う~ん!ちょんまげを切るのか…。こ

のちょんまげはどんな集団の中にいても
一目で由紀子を見つけ出す秘密兵器だったのに…。

でも、日に日に暑くなる中、
汗びっしょりの由紀子を見て
「髪が短かったら楽だろうなぁ」

いろいろ悩んだ挙句に切るならばっさりと…。



いかがでしょうか?

今までとは違うスポーティな由紀子にイメージチェンジです。



快適パソコン生活

最近、由紀子が急にパソコンに興味津々です!

初めこそ恐る恐る触っていた由紀子ですが、
いまでは慣れた手つきでマウスをカチカチ!

いろんなフォルダーを開けては興味のある画像などを見て、
時には印刷まで…。

唖然!

全て家族がやっているのを傍でじっと見て覚えるようです。

もちろんメールにも興味を持ちました。

そこで、O野先生にお願いしてメル友になっていただき
ローマ字入力の大特訓です。

さすがにこれは無理かもしれないと思ったのですが、
メールの内容をローマ字に直してやると、
一文ずつ丁寧にキーボードを押していきます。

まだひらがなだけですが、立派なメールです。

最後に書く「ゆきこ」はもうローマ字で覚えました。

メル友も増えましたが、
集中力と時間がいるのでゆっくりした週末だけのメールになります。

最近は返事が来るのを楽しみにしている由紀子です。

相手をしてくださる皆様に心から感謝しています。

『 ありがとう ゆきこ 』



編集後記

由紀子が大人になった時のことを考えて、
今やるべき事はなに?
いつもその事を意識して由紀子との生活をしてきました。

でも、私は今まで成人した自閉症の方に
会った事がありませんでした。

だから、いつも漠然としていて、
理想論ばかりになっていた気がします。

でも、先日深見さんといわれる
大分在住の自閉症の方とお母さんにお会いする機会がありました。

息子の博さんは三四歳。

とても素敵な青年です。

現在は自らが店主となってケーキ屋さんを営業されています。

お母さんはそんな博さんを愛情一杯に、
工夫とありとあらゆる知恵を使って育てられました。

そのお話を伺いながら自分の努力不足を感じ、
今までの育て方を違う角度から見るチャンスを頂きました。

そして、
「由紀子も博さんのような大人になったらいい
なぁと思います。」

と言った私に博さんが

「僕はがまんする事と、変更する事、
あいさつすることをがんばりました。
由紀子ちゃんも・…」

と話して下さったのです。

一瞬ドキッとしました。

そして、心の奥から感激が沸きあがってきました。

由紀子もがんばればこんな素敵な大人になれるという
実感が沸いてきたのです。

深見さんに教えていただいたことは、

今やるべき事は私が押し付けるのではなく
由紀子が発信している心の信号を見落とさない事、

そして、瞳を輝やかす興味ある事柄をキャッチする事。

そして、その事をどうやって生活訓練に結び付けていくのか、
それは私の知恵と工夫にかかっているという事でした。

博さんに教えていただいた
由紀子の人生にとって大切な三か条も、
由紀子の中にしっかり植え付けていきたいと思っています。

とてもよい出会いに恵まれた事を心から感謝しています。



=END=
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ゆきちゃん通信 No11

2001年02月18日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2001年3月31日発行


ゆきちゃん通信No11


ずいぶん久しぶりの「由紀ちゃん通信」になりました。

実は、長年付き合ってきた
子宮筋腫とお別れする手術を受けておりました。

最初は五島で手術を受けるつもりで
何ヶ月も前から心の準備をしていたのに、
土壇場で長崎まで行って
手術を受けなければならなくなってしまいました。

『 うそ~!由紀子を残して・・・?!
私がいなければ生きていけない由紀子を残して・・・?!
ああ!どうすればいいのだろう・・・・・・??? 』

ハッハッハ!
今は笑える私ですが、
以前から母子分離ができていないと
先生方から指摘されていた私です。

そのときのパニックをご想像ください。

でも、そんな私の不安に関係なく時間は過ぎ、
3 週間の入院生活を終えて
3 月9 日母は無事に戻ってまいりました。

さて、私がいなくなった後の由紀子の奮闘ぶり、
そして大きな成長を今回はお伝えします。



ねーねー母さんは きびしいのだ!



私が入院している間の由紀子のお母さん役と主婦業は
熊本の大学に行っている長女(ねーねー)が引き受けてくれました。

春の試験休みを丸々つぶして帰省してくれました。

感謝!感謝!

ねーねーは、以前から気になっていた

由紀子と私の関係と由紀子のわがままを

絶対に直して見せると決意して帰省したらしく、
由紀子の生活を全て見直してくれました。

まずは、食事の好き嫌いをなくすことから・・・・。

ついつい由紀子の好きなものばかり作ってしまう私とは違って、
ねーねーは他の家族と全て同じ物しかたべさせない。

泣いて何も食べない日もあったとか・・・・。

おかげで今では、何を出されても大丈夫になりました。

(由紀子の偏食の原因は私?)


自分の事は自分で・・・・。

「ハサミを取って」等の由紀子の声に
ついつい反応してしまう私は
無意識のうちに「ハイハイ」と体が動いてしまっていたのですが、

ねーねーは、「自分でやりなさい!」

でも、引き出しに猫の絵を張って
『猫さんにあるよ』という気配りも忘れていません。

それ以来、当たり前のように自分でやってる由紀子です。

(由紀子が動かないのも私のせい?)


他にもたくさんありますが、
これ以上書くと私のだらしなさが露見するばかりですので・・・
省略。


私が家から消えた日、
由紀子は動揺して夜泣きをしたようです。

うろたえたお父さんが
由紀子とねーねーの寝室に行くと、

ねーねーは『大丈夫だから出て行って!』といい、

それでも離れない父を
『私を信じて!』と一喝したそうです。

しかたなく部屋に戻ったお父さんですが、
しばらくすると

「ねーねー!ごめんなさい!」

という由紀子の声が聞こえ、
その後は静かになったといいます。

お父さんはこの一夜で、
由紀子を長女に任せようと決めたと後で話してくれました。

由紀子を<我が子>と言い放つねーねーは
本当の意味で由紀子を愛してくれています。

きびしさも愛!

解っていてもなかなか実行できない弱い母は、
同じく自分が育てた子供に教えられたのでした。

思えば、長女にはとてもきびしい母でした。


今はねーねーがしつけてくれた事を無駄にしないよう
甘い母からの脱却を心がけております。


我が家のお店屋さん



2年生になってからお金の勉強をしている由紀子ですが、
これがとても難しくてなかなかうまくいきません。

どうにか生活の中で継続して学習させたいと思っていました。

これは退院してからの課題のつもりだったのですが、

病院から戻ってみると我が家に小さなお店やさんが開店していました。

一つのカゴの中に由紀子の好きな
ゼリーやみかんやりんごが入っていて、
一つ一つにマジックで値段が書いてあります。

毎日おやつの時間になると
由紀子は財布からお金をはらってそのお菓子を買うのだそうです。

店主はまーまーです。

管理がきびしいのです。
みかんは98円。(高~い!)

値段を読む事から始まって、
財布の中からお金を出して正解するまで何度もやり直しです。

どうして思いつかなかったのだろう・・・・

お店屋さんごっこの延長に学習があったなんて。

娘達の豊かな発想にまた一つ頭が下がりました。

由紀子のお金の学習はまだまだつづきます。



一番うれしかったこと


私は入院するとき一つだけ楽しみにしていた事がありました。

退院して帰ってきたときに
由紀子がどんな反応を示すだろうという事です。

(不安でもありました。)

今まで何回もお伝えしたように

由紀子は大切な人とお別れした後、
再会する事に大きな抵抗があります。

でも、最近ねーねーや、ひでき先生のおかげで
別れてもまた逢えるのだということがわかり始めている由紀子です。

さて私で、総仕上げです。


夕方、由紀子へのお土産を持ってお父さんと帰宅。・・・・ドキドキ

「由紀ちゃんただいまぁ」

「・・・・・おかあさんだ!」

ソファに座った由紀子は笑顔でした。

そして、逃げる事もなく意外とすんなり由紀子に触ることができました。

それでも、視線は宙を泳いでいます。

私を見ようと顔はこちらを向くのですが、
視線だけはどうしても合わせることができませんでした。

でも、いいのです。

これでいいのです。

家族みんなで頑張った3週間がこのとき終わりました。



編集後記

今回のゆきちゃん通信には由紀子の描写があまりありません。

離れて暮らした3週間の間に見せたであろう
由紀子のいろいろな表情を私は見ることができませんでした。

それは寂しい事でした。

でも、3週間離れてみて、
気持ちの上で程よく距離がもてるようになった気がしています。

今まで由紀子を受け入れる事にばかり必死になっていた私でした。

母子分離をしなければと焦っても何も変える事ができなかった
この一年でした。

今やっとわかった気がします。

私がいなくても由紀子は生きてゆけるのです。(笑)

最後になりましたが、
学校の先生方やクラスのみんなが
しっかり由紀子の3週間を支えてくれた事にも
心から感謝しています。

みなさん本当にありがとう!


=END=
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