これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。
2005年7月20日発行
ゆきちゃん通信 NO22
中 学 校 進 学
由紀子は西町小学校を卒業して
大村市にある虹の原養護学校へ進学をしました。
進路についてはいろいろ悩んだのですが、
思春期に入って由紀子が不安定になっていることや
将来の事を考えて養護学校への進学を決めました。
最初は長崎大学附属養護学校の中学部への進学を希望していましたが
昨年の12 月に受験をして不合格になりました。
思春期に入って自閉症特有の過敏さが増している由紀子は
附属養護学校の教育に向いていないと判断されたのだと思いますが、
今はその判断は正しかったと思っています。
結局、受験の前に見学に行って、
とてもいい感じを受けた虹の原養護学校を
由紀子の進学先に決めました。
そして、私たち一家は長崎から大村へと引越しをしました。
長崎での生活はたった2 年間でした。
虹の原養護学校は新しい学校で、
県下一のマンモス養護学校です。
ただ、養護学校と普通の学校とでは生活のリズムが全く違います。
もう、1 学期が終わろうとしているのに
慣れない事の連続に母子ともども戸惑いの日々が続いています。
ここで、由紀子の学校生活を少し紹介します。
中学部の1 年生は4 クラスあって、
由紀子のクラスは1 年3 組。
男の子3 人と女の子2 人の5 人のクラスです。
最近、やっと由紀子もクラスのお友達の名前を覚えて、
学校での様子を聞き出す時に情景がわかりやすくなりました。
個性豊かなクラスメイト。
もちろん由紀子もかなり個性的な存在です。
こうして、由紀子の新しい生活が始まったのですが、
この後のご報告は少し、気の重い報告になります。
ゆきちゃん通信始まって以来の大事件です。
思春期の嵐の中で
虹の原養護学校に入学して1 ヶ月は
とても順調に学校生活に慣れて行くように見えた由紀子でしたが、
5 月に入ると急にその様子が変わってきました。
そして連休の後、
今まで起こした事のないような大きなパニックが由紀子を襲いました。
夜中に目を覚ましては自分の頭を拳骨でガンガン叩いて泣き叫び、
一日中興奮状態が続いて、最後には急に家から外へと飛び出そうとします。
頭を叩く時の力も半端ではありません。
由紀子の頭をかばう私の腕は数日で腫れ上がってしまいました。
一番ひどい時には、夜中に家中の電気をつけて回って
家族全員を揺り起こすのです。
このときは家中がパニック状態になってしまいました。
こんな日が一週間以上続きました。
これは思春期に入った由紀子の身体に起こった変化の一つでした。
月経前緊張症というホルモンの作用によって引き起こされる症状です。
その症状に引越しによる環境の変化が
ストレスとなってのしかかり爆発をしたようです。
最初の発作の時に私はどうしていいのかわからず、
頭を叩き続ける由紀子を抱いて泣く事しかできませんでした。
由紀子が壊れていくようで、怖くて悲しくて・・・。
自分の感情のコントロールができなくなって
苦しんでいる由紀子を前にして、
何もしてやれない自分の無力さに打ちのめされてしまいました。
でも、そんな由紀子を主治医のA川先生と
性教育のM原先生が助けてくださいました。
A川先生はすぐに安定剤を処方してくださり、
毎晩電話で由紀子の様子を聞きながら薬の量を調整してくださいました。
M原先生は私が冷静になれるようにと、
月経前緊張症のことを詳しく調べて教えてくださいました。
そのおかげで、なんとか私たち家族も
由紀子の現在の状態と向き合うことができるようになりました。
でも、由紀子はパニックになるたびに
「長崎の家に帰ろう!」と繰り返します。
その度に由紀子にとって長崎での生活が
どれほど大切だったかを思い知らされ、
由紀子の為と思って決めた引越しを責められているようで辛くなります。
でも、由紀子が大好きだった西町小学校にはもう戻る事はできません。
一緒に過ごしたお友達も学校にはいないのです。
卒業の意味すらよくわからない由紀子には
その事も理解できていないのかもしれません。
あれから3 ヶ月が過ぎましたが、
まだ由紀子は毎月、安定した時期と不安定な時期を繰り返しています。
薬を調整することで、
初期のイライラは押さえ込めるようになって来ましたが、
月経前の一週間は薬が効かないほどの興奮状態になって
学校にも行けなくなります。
虹の原養護学校の先生方にもご迷惑をおかけしているのですが、
現在、どうすれば由紀子が安定した学校生活が送れるかを
検討してくださっています。
夏休みにはケース会議を開いてくださる事になりました。
一生懸命対応してくださる先生方の姿に、
学校の選択はやはり間違っていなかったと思っています。
由紀子は今、思春期の嵐の中でさまよい続けています。
トレードマークだったあの笑顔が一ヶ月の半分は消えてしまいます。
由紀子の笑顔を宝物として守り続けてきた私には
そのことが一番辛く悲しいことです。
この3 ヶ月間、私自身もパニック状態で、
ずっと書き続けていたホームページの日記も書けませんでした。
何度も書こうとしたのですが、
言葉にするのが辛くて逃げ出してしまったのです。
自分のホームページなのにこの3 ヶ月間一度も開いていません。
日記を読みにホームページに来てくださっていたみなさんには
申し訳ないことをしたと思っています。
本当にごめんなさい!
でも、この通信を書くことができて、
やっと日記も書けそうな気がしてきました。
どん底からの再スタートですが、
よかったら由紀子と家族のこれからを
また見守っていただければ・・・と、思います。
=END=
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。
2005年7月20日発行
ゆきちゃん通信 NO22
中 学 校 進 学
由紀子は西町小学校を卒業して
大村市にある虹の原養護学校へ進学をしました。
進路についてはいろいろ悩んだのですが、
思春期に入って由紀子が不安定になっていることや
将来の事を考えて養護学校への進学を決めました。
最初は長崎大学附属養護学校の中学部への進学を希望していましたが
昨年の12 月に受験をして不合格になりました。
思春期に入って自閉症特有の過敏さが増している由紀子は
附属養護学校の教育に向いていないと判断されたのだと思いますが、
今はその判断は正しかったと思っています。
結局、受験の前に見学に行って、
とてもいい感じを受けた虹の原養護学校を
由紀子の進学先に決めました。
そして、私たち一家は長崎から大村へと引越しをしました。
長崎での生活はたった2 年間でした。
虹の原養護学校は新しい学校で、
県下一のマンモス養護学校です。
ただ、養護学校と普通の学校とでは生活のリズムが全く違います。
もう、1 学期が終わろうとしているのに
慣れない事の連続に母子ともども戸惑いの日々が続いています。
ここで、由紀子の学校生活を少し紹介します。
中学部の1 年生は4 クラスあって、
由紀子のクラスは1 年3 組。
男の子3 人と女の子2 人の5 人のクラスです。
最近、やっと由紀子もクラスのお友達の名前を覚えて、
学校での様子を聞き出す時に情景がわかりやすくなりました。
個性豊かなクラスメイト。
もちろん由紀子もかなり個性的な存在です。
こうして、由紀子の新しい生活が始まったのですが、
この後のご報告は少し、気の重い報告になります。
ゆきちゃん通信始まって以来の大事件です。
思春期の嵐の中で
虹の原養護学校に入学して1 ヶ月は
とても順調に学校生活に慣れて行くように見えた由紀子でしたが、
5 月に入ると急にその様子が変わってきました。
そして連休の後、
今まで起こした事のないような大きなパニックが由紀子を襲いました。
夜中に目を覚ましては自分の頭を拳骨でガンガン叩いて泣き叫び、
一日中興奮状態が続いて、最後には急に家から外へと飛び出そうとします。
頭を叩く時の力も半端ではありません。
由紀子の頭をかばう私の腕は数日で腫れ上がってしまいました。
一番ひどい時には、夜中に家中の電気をつけて回って
家族全員を揺り起こすのです。
このときは家中がパニック状態になってしまいました。
こんな日が一週間以上続きました。
これは思春期に入った由紀子の身体に起こった変化の一つでした。
月経前緊張症というホルモンの作用によって引き起こされる症状です。
その症状に引越しによる環境の変化が
ストレスとなってのしかかり爆発をしたようです。
最初の発作の時に私はどうしていいのかわからず、
頭を叩き続ける由紀子を抱いて泣く事しかできませんでした。
由紀子が壊れていくようで、怖くて悲しくて・・・。
自分の感情のコントロールができなくなって
苦しんでいる由紀子を前にして、
何もしてやれない自分の無力さに打ちのめされてしまいました。
でも、そんな由紀子を主治医のA川先生と
性教育のM原先生が助けてくださいました。
A川先生はすぐに安定剤を処方してくださり、
毎晩電話で由紀子の様子を聞きながら薬の量を調整してくださいました。
M原先生は私が冷静になれるようにと、
月経前緊張症のことを詳しく調べて教えてくださいました。
そのおかげで、なんとか私たち家族も
由紀子の現在の状態と向き合うことができるようになりました。
でも、由紀子はパニックになるたびに
「長崎の家に帰ろう!」と繰り返します。
その度に由紀子にとって長崎での生活が
どれほど大切だったかを思い知らされ、
由紀子の為と思って決めた引越しを責められているようで辛くなります。
でも、由紀子が大好きだった西町小学校にはもう戻る事はできません。
一緒に過ごしたお友達も学校にはいないのです。
卒業の意味すらよくわからない由紀子には
その事も理解できていないのかもしれません。
あれから3 ヶ月が過ぎましたが、
まだ由紀子は毎月、安定した時期と不安定な時期を繰り返しています。
薬を調整することで、
初期のイライラは押さえ込めるようになって来ましたが、
月経前の一週間は薬が効かないほどの興奮状態になって
学校にも行けなくなります。
虹の原養護学校の先生方にもご迷惑をおかけしているのですが、
現在、どうすれば由紀子が安定した学校生活が送れるかを
検討してくださっています。
夏休みにはケース会議を開いてくださる事になりました。
一生懸命対応してくださる先生方の姿に、
学校の選択はやはり間違っていなかったと思っています。
由紀子は今、思春期の嵐の中でさまよい続けています。
トレードマークだったあの笑顔が一ヶ月の半分は消えてしまいます。
由紀子の笑顔を宝物として守り続けてきた私には
そのことが一番辛く悲しいことです。
この3 ヶ月間、私自身もパニック状態で、
ずっと書き続けていたホームページの日記も書けませんでした。
何度も書こうとしたのですが、
言葉にするのが辛くて逃げ出してしまったのです。
自分のホームページなのにこの3 ヶ月間一度も開いていません。
日記を読みにホームページに来てくださっていたみなさんには
申し訳ないことをしたと思っています。
本当にごめんなさい!
でも、この通信を書くことができて、
やっと日記も書けそうな気がしてきました。
どん底からの再スタートですが、
よかったら由紀子と家族のこれからを
また見守っていただければ・・・と、思います。
=END=