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実相を自覚するには心眼を開かなければならず、五感を超えなければならない。これを神想観でやるのである。

2021-04-23 14:05:30 | 日記
実相を自覚するには心眼を開かなければならず、五感を超えなければならない。
これを神想観でやるのである。
よき導師は私にとっては谷口雅春先生である。
あとは英国米国の光明思想家だ。


(正法眼蔵を読む 看経の巻  谷口清超)
<全自己の経>
 最高の真理の自覚を修し証するには、よき導師の導きが必要であるし、又様々な経典が用いられる。この導師即ち善知識というものは、実をいうと全自己の仏祖なのだ。又経典というものは全自己の経巻そのものである。この自己なるものはそのまま全て仏祖であり、また全経巻そのものでもあるから、こうして最高の真理が自覚できるのである。しかしここにいう自己とは、我と彼との対立した自己ではない。この真の自己を知るには、心眼を開かなければならず、五感を超えなければならないのである。 

吾々は祈りによって病気が癒やされる方法をイエスから学ぶことができるのである。

2021-04-23 09:53:09 | 日記
この現象の世は、
実は「神の子・神の国」の映し世である。
この真理さえ把握すれば、
神が顕われるのである。
神の国に病気なんて無いのである。
(祈りの科学 谷口雅春)
【こういうように祈りの力によって健康が回復されるのは、すべてのものをとかす所のもっとも強力なる力である心の力を用うる所の方法である。それを吾々は物質的治療家が非難したからとてそれに屈服する必要はないのである。祈りによって癒やすには、どこがどういうように生理的に故障があるかを理解しなければならないことはないのである。何故癌がよき血液や健康なる細胞から発生して恐ろしい腫物にまで発展し周囲の細胞を食いつくしてしまうのであろうか。その原因を知らなければならないということはないのである。潰瘍や、癌腫や、肉腫のようなものが、如何にして生ずるかを知らなくとも吾々はそれを癒やすことができるのである。吾々はただ如何にして神と交通することができるか、そして如何に神に仕うべきか、そして神に仕えつつある間に絶対の信を以って疑いをさしはさみさえしなければいいのである。それがイエスが多くの病者を癒やした所のやり方である。吾々は聖書をよんでイエスの神癒の底に横たわっている機構を知ることは無駄ではないのである。】
 
 

実相を認めて感謝することで実相が顕われるのである。実相は神であるから病気なんて存在しないのだ。

2021-04-23 09:45:02 | 日記
イエスはラザロは実相においては既に癒やされている、
と知っていた。
それ故、
癒やされていることに感謝しているのである。
実相を認めて感謝することで
実相が顕われるのである。
実相は神であるから病気なんて存在しないのだ。
(祈りの科学 谷口雅春)
【イエスは病気を治す場合に、「汝の罪は赦されたり」という言葉をしばしば使っていることを見るのである。またイエスはその弟子が病者を癒やす時に心配した場合には、「汝ら信仰うすきかな」といって嘆息しているのである。又イエスは死せるラザロを復活せしめた場合にあらかじめ、「神は吾が願いを常にきき給うを知る」といって癒やす業を行う前にすでに感謝しているのである。これらのことは吾々が祈りによって人の病気を癒やす場合に、参考になる所のやり方だといわなければならないのである。】