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ルールドの聖泉の奇瑞の秘密(その3)

2021-04-26 12:58:57 | 日記
 「“神の子”われに宿る」「“生命の実相”われに
宿る」の自覚で、
すなわち「無原罪の受胎」(真理キリスト)を自覚することで
人間はルールドの神癒と同じものを得ることができる。
これすなわち生長の家の説く根本神髄である。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【私は『生命の実相』の中にその奇瑞が起こる秘密の原点を解説して、その原点は「無原罪の受胎」を自覚することにあることを指摘したのだった。そして『生命の実相』を読むことによってルールドの聖池に浸ると同様の奇蹟的治癒が起こる人々があるのはすべての人間の生命の実相は「無原罪の神の子」だとの思想に浴し、本来無病の“神の子”をわが身に受胎していることを自覚するからだと解説しておいたのだった。この本来罪なく、本来病い無き“無原罪の自己生命”を悟ることが新たに生まれる原点である。】
 
 
 

「天上天下唯我独尊」の自覚は、エメット・フォックスの云う通り、神のみを観じ続けることで得られるはずだ。

2021-04-26 12:45:31 | 日記
私は「だれそれ」という名の現象人間であるが、
その「だれそれ」を演じている“神の子”人間が
本当の私である。
そのものは
現象宇宙の主人公であり、
と云う事は
この現象宇宙は
丸ごとわたし自身である。
私もまた「天上天下唯我独尊」である。
その自覚はエメット・フォックスが云う通り、
ただひたすら「神」のみを観じ続けることで得られるのだ。
これについては
アディントン『奇蹟の時は今』p81参照のこと。
ただしこれは投稿者私自身の体験によるもので、
その域を出ないこと勿論だ。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【新たに生まれるとは「“原罪”その他の諸々の罪を背負っている穢れたる“罪の子”の自分であり、“罪悪の凡夫”である」との過去の妄想から目覚めて、自分は“神の子”であり、穢れたることなき聖なる存在であるという新しき自覚に入ることなのである。釈尊は悟りを開かれた時に、「山川草木国土悉皆成仏」(山も川も草も木も国土も悉く皆仏如来のいのちの現成である)との自覚に入られたのであった。換言すれば、現象の山の形や川の形や草木国土の形やそれを構成する物質分子の形や成分を釈尊は見られたのではない、その現象形態や現象構成の奥にあるところの“仏”を観、“如来”を観、すべての人と者との奥にある“仏如来”又は“神”を見られたのである。そしてすべての人に、すべての物に、“天上天下唯我独尊なるもの”を観られたのである。そしてご自身がまた“天上天下唯我独尊”であることを観られたのである。釈尊は、この独尊の自覚を自己の内に観られただけではなくすべての人と物との内に見られたのであるから、それは高慢になる事なく、天地すべてのものを礼拝する謙遜の心、柔和の心を得られると、人間を含めて、すべての生物(有情)及び無生物(非情)までも兄弟姉妹として相互に合掌礼拝する心を得られたのである。】