ルールドのいわれは
とても興味深いものがある。
ただルールドにおいて神癒を得た人というのは、
ルールドという物質的環境が癒やしたのではなく、
患者自身の心の「信」がなしたわざであると、
アディントン氏は強調しているのである。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【たいへんむつかしい名前の女神であるが、すべて原罪を犯したアダムとイヴとの子孫であるところの人類は、“原罪”を背負っているが、原罪のないのは“神の子”であるイエス・キリストだけである。そのイエス・キリストを受胎したのは、聖母マリヤであるというので、聖母マリヤを祀る聖堂が建立され、ベルナデットが土を掘って噴出した水は今では聖池となって浄水を湛えており、その聖池の一方の岸壁にマリヤの聖像が彫刻されているが、その聖池に浴する信者の重病者が、その聖池に浸ってあがると忽ち病が消えている如き奇瑞ある霊験があらわれ、その霊験が真実であるのは、医師が聖浴直前に診察して病気の症状を確認し、聖浴を終って水からあがると、医師がたしかめてあった浴前の症状が消えてしまっているが如き功徳があらわれるというので、毎年その参拝期になると数十万人の巡礼がルールドの聖母に参拝し聖池に浴してお蔭を受けるのだそうである。】