時間とは「生命振動」の意識である。
聖経『甘露の法雨』には
【この全能なる神、
完全なる神の
『心』動き出でてコトバとなれば
一切の現象展開して万物成る。
万物はこれ神の心、
万物はこれ神のコトバ、
すべてはこれ霊、
すべてはこれ心、
物質にて成るもの一つもなし。
物質はただ心の影】
とあるとおりです。
(参考 神癒への道 谷口雅春 日本教文社)
【そういう変り易いものが相対時間でありましてそれは決して本当の時間ではないのであります。過去・現在・未来に属する相対時間と云うものはこうしたものであります。吾々は吾々の相対的活動を、地球の公転・自転の運動の何分の一だけ働いたと云う様な標準を求めるために、こう云う相対時間を使いますが、それは結局「目盛」に過ぎないのであって、本当の時間「実在の時間」というものは、過去・現在・未来というものの流れを超えたところの存在、「永遠の今」「久遠の今」「今此処の生命(いのち)」であって、この今此処一点の生命が「久遠の今」に生きているのであります。】
【さて此の絶対時間―換言すれば、「久遠の今」というものは一体何であるかというと、生命そのものである。「今此処の一点」の生命が振動する。生命の振動の持続が時間なのであります。生命の振動が止ったら時間がなくなってしまう。生命振動の意識が時間であります。】