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古仏はこういわれた。「無間業を招かざるを得んと欲せば、如来の正法輪を謗(そし)ることなかれ」

2021-04-13 11:43:35 | 日記
私たちは正法を学ぶことが大切だ。
正法というのは「現象ナシ実相が独在する」という真理である。
これが万教帰一真理なのである。

(正法眼蔵を読む 山水経の巻  谷口清超)
<如来正法輪>
 古仏はこういわれた。
「無間業を招かざるを得んと欲せば、如来の正法輪を謗(そし)ることなかれ」
つまり、無間地獄へ行きたくないならば、如来の教えを謗ってはならぬ、というのである。この御言葉を肝に銘じなければならない。身心の内外に銘じなければならない。空にも色にも銘じなければならない。木にも石にも刻むのだ。田にも里にも記すのである。つまり真理を、そのままスッと信ずること以上に大切なことは、何一つないということである。

人類に奉仕せんとの念願、奉仕せんがための建設的な思想、善き考えの実施・・・これが即ち富である。

2021-04-13 09:55:55 | 日記
要約します。
・「富」の内容は「人類への奉仕」である。だから富はここかしこの銀行に横たわっているものではなく吾々の心の中に横たわっているのである。
・奉仕せんとの念願、奉仕せんがための建設的な思想、善き考えの実施・・・これが即ち富である。
・吾々の「心」が神の心(人類への奉仕)と波長を合わした時に、即ち祈りによって神の智慧を導きだして来た時に、そこに富が実現するのである。
(祈りの科学 
【もし吾々が人類が今何を求めているかを発見しそしてその必要をみたさんがために何かを貢献したいと正直に念願するならば、既にその人は「富」の入口に立っているのである。「富」の内容は「人類への奉仕」である。だから富はここかしこの銀行に横たわっているものではなく吾々の心の中に横たわっているのである。その「心」は神のみ心の中に横たわっているのであるから、吾々の「心」が神の心と波長を合わした時に、即ち祈りによって神の智慧を導きだして来た時に、そこに富が実現するのである。奉仕せんとの念願、奉仕せんがための建設的な思想、善き考えの実施・・・これが即ち富である。富を外にあるものと考えて、富を外に追及しようとするのは、富が内から催されてくる所の奉仕の念願から生ずるものであるということを知らないのである。】