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新約聖書「ヨハネによる福音書」新共同訳

2021-04-02 12:51:24 | 日記
新約聖書「ヨハネによる福音書」新共同訳
1章 フィリポとナタナエル、弟子となる
47 イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」

「汝自身に恥じよ。更に進んで汝の能力一杯に働け。然らば汝の能力は尚一層増加するであろう。」と叫ぶ自己の心の声を注意深く聴くべきなのだ。

2021-04-02 09:57:35 | 日記
吾々は内部神性の叫びに
常に敏感であるべきだ。
時々感じる 
「汝自身に恥じよ。更に進んで汝の能力一杯に働け。然らば汝の能力は尚一層増加するであろう。」
と叫ぶ自己の心の声を
注意深く聴くべきなのだ。
(祈りの科学 谷口雅春)
【誰でも自分が天分として割り当てられている其の仕事以外のことに従事しているならば、真に幸福になることのできないのは当然である。坐るべき位置にぴったり坐っていないことが、、魂の安定感を失わしめることになるのである。心が落ちつかなかったり、不満足であったりするのは、内部の神性が「汝自身に恥じよ。更に進んで汝の能力一杯に働け。然らば汝の能力は尚一層増加するであろう。」と叫んでいる証拠であるのである。】
 

神のみ心は「進歩」にあるのである。

2021-04-02 09:48:59 | 日記
神のみ心は「進歩」にあるのである。
魂の生長こそが人生の目的なのだ。
(祈りの科学 谷口雅春)
【神のみ心は「進歩」にあるのである。停止しているものは神の法則にそむくのであり、退歩するより外はないのである。生命には停止ということはないのである。停止しておれば必ず退歩するのである。だから退歩しないためには前進する外はないのである。所が人間の習慣的な怠惰性または保守性は、前進に対してある不安または恐怖を伴わしめ、成るべく何事もなくじっとしていることに安心感を得やすいのである。そこで、もし人がそういう安心感で前進しないで停止している時には、前進に対する刺激剤として、その人の人生に問題が起って来るのである。その問題は一見面倒くさく見えるかも知れないけれども、その問題によって吾々は前進し進歩するのである。マン女子はいっている「新しい問題は新しい機会である」と。新しい問題は決して吾々を傷つけるものでもなければ恐怖さすものでもないのである。吾々は新しい問題を感謝してうけ、それを解決するために前進する。前進すれば必ず道が開かれる。そして新しき展望が目の前に開けて来る。魂が新しき世界を体験し、そして進歩するのである。】