人生に起こる問題はすべて問題の中にすでに解答があるのである。吾々は人生の問題を吾々の発達へ導く人生課題であると把えて、ただ感謝して受ければよいのである。
(祈りの科学 谷口雅春)
【もし吾々が平和に豊かに光のみちた静かなる生活を送っているのに、何か問題が起って来たとするならば、それは吾々の生活が余りにも平和の状態に停止しようとしている為に、吾々の生命を目覚めしめ前進に対して拍車づけるために与えられた所の刺激剤として感謝してうければいいのである。すべて人生におこる問題は上昇のための階段のようなものである。階段は吾々の目のまえに聳える所の何か遮蔽物かの如く見えるかも知れない。しかしその遮蔽物は吾々を遮るためにあるのではなく、吾々が登るためにあるのである。登って頂上に達すれば新しき世界の展望が開かれる。登れない階段があり得ないと同じように、解決の出来ない問題はないのである。】
【それは丁度算術の問題が提出されたのと同じように、問題の中にすでに解答があるのである。吾々は唯運算すれば好いのである。問題が提出されるので運算の能力が磨かれるのである。吾々は問題が提出されるごとに魂は上昇する外仕方がないのである。問題は吾々を発達へと導くおとりである。それは尚一そう高き世界への招待状である。この招待に対して吾々は拒絶する自由も、すなおにうける自由もあるのである。しかし唯すなおに享けて階段をすなおに上がるもののみが魂の進歩を得るのである。】