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安倍内閣に大勝してもらわないと!

2016-06-30 22:01:12 | 日記
現在
世界の政治・経済の問題で、
とても大事な段階になっていると
思わざるを得ない。
中国の拡張主義と北朝鮮の振る舞い、
E・Uと英国の問題、
イスラム国の問題、
米国の大統領の問題、
どれを取ったって
民進党には
歯が立つ問題には思えない。
実を言えば
自民党でも
安倍首相以外に
世界の難問題に対応できる人は
いないように思える。
まずは自民党に
参院選で大勝してもらい、
安心して
安倍内閣全体で
日本丸の安全航海を
お願いしたいと思っている。

小さい者のひとり

2016-06-30 20:59:11 | 日記
<マタイによる福音書第18章>
(18・1―14)小さい者のひとり
(1) そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
(2) すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
(3) 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
(4) この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
(5) また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受けいれるのである。
(6) しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
(7) この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。
(8) もしあなたの片手または方足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。
(9) もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。
(10) あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。
(11) 〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
(12) あなたがたはっどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
(13) もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい。迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
(14) そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)後で投稿


人に接する時は・・・

2016-06-29 22:10:27 | 日記
何歳になっても
人は
輝きたいという気持ちが
なくならないんだなあ、
と思う。
ほめられ
認められたいという気持ちは
どんな人にも読みとれる。
私のような年齢になっても
間違いなく
その気持ちはある。
だから
人を見るとき、
ほめられ認められたい存在、
愛し愛されたい存在、
さらに向上したい存在なんだと
それを前提として接することが必要だ。
自分がそうであるように
みんながそういう存在なのだから。

宮の納入金(解説含む)

2016-06-29 17:31:01 | 日記
<マタイによる福音書第17章>
(17・24―27)宮の納入金
(24)彼らがカぺナウムで集っていた時、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。
(25)ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢(みつぎ)をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。
(26)ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。
(27)しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・祭司を除いて20歳以上のユダヤ人は、毎年半シケルを宮に納入することが定められていた。イエスは神の子であるから僕のように神に金を納入する義務はないが、隣人をつまずかせないために、納入して神の子の自由を示された。この項は、キリスト者はユダヤ人の律法に従う義務がないということが考えられ、また神を唯一の王と信じる者が、果たして外国の君主に税を納める義務があるかということが問題になった後代の教会の事情を反映していると思われる。いわばそのような教会の実際問題への答えとして、記されたものであろう。
・24 変貌の山からおりて来たのち、病人にいやしを求められたが、今は金銭の要求を受けられてあまりに現金な世の中に直面された。《宮の納入金》ひとり半シケルと定められていたので半シケル税と呼ばれていた。半シケル税はギリシャ語ではドラクマと訳され、一日の労賃である一デナリと同価である。
・25 26 このようなこの世的な義務をないがしろにされなかった。しかしイエスは律法の奴隷としてでなく、自由な子としてこの世の義務に服従されることを示された。王が《税や貢》を取り立てるのは、自分の子からでなく、国民からであるとすると、まして王の王なる神の子イエスは、神の宮に税を《納めなくてもよいわけである》。
・27 イエスは隣人への愛を神の子の特権と自由の行使に優先させるような生活をなさった。そして彼に従う者が、この点においても主にならう者となることを望まれた。《つり針をたれなさい》このようにイエスは自分のため奇跡を行なうとは思われないとして、弟子に魚をつらせて、それを売って得た金を宮に納めさせたのではないかと考える者があるが、みこころを行なう者にその必要なものが与えられることを示している。

多少強引に、でも楽しんでウォーキングを続けている

2016-06-28 22:59:23 | 日記
今日も
祐天寺のマンションに清掃に行く時に
東横線で一つ手前の中目黒で降りて
祐天寺まで一駅分歩き、
帰りには
別の道を歩いて
祐天寺から中目黒に行き、
そこから電車に乗って帰った。
もう約一カ月続いたわけであって、
このウォーキングというのが、
一日のうちにやることの
第一課題となってしまった。
正直億劫な気持がないわけじゃない。
でも足腰をきたえないと
健康寿命を伸ばせないことは確かだし、
体質改善をさらに進めるためにも
多少強引に実行している。
でも歩くことは楽しく
視界が次々と変わるので、
興味・好奇心いっぱいでやっていることも
本当のことである。