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人間は違いあっても人間であることは「平等」

2013-06-30 18:24:25 | 日記
世界には
無数に人間がいて
数限りない職種があると思うんだが、
働いて食べ物を得るということや
男性と女性がいて
子どもが生まれるということ、
人間は一人では生きられず、
助け合って生きていくものであるなどの
神様のつくったきまりみたいなものは、
世界共通である。
つまり、
人間は皮膚の色が違おうと
どこの国に所属していようと
人間であることにおいて
みな共通している。
それは
人間はみな
理念としての人間「実相人間」の
現象世界への投影であるからだ。

日本の各地で多様な生活が無数に繰り広げられている

2013-06-30 16:54:35 | 日記
NHKテレビで
「路線バスの旅」
というのがある。
今愛知県奥三河という
山奥に住んでいる人々の暮らしぶりを
若い男性の俳優さんが
路線バスを乗り継ぎながら
取材して旅する
番組を見ている。
川で飛ぶアユを網で獲る漁をする人、
山奥の小学校の鼓笛練習、
チェーンソーを使って
木材(丸太)から木彫り彫刻をする職業の男性、
千枚田という棚田で仕事する農家の人、
これらを見ると
日本の至るところに
人々の生活があり、
私など退職して
狭い範囲で人生体験しかしていない人間には
想像もつかないような
多様で無数の生活が繰り広げられていることが
わかるのである。
日本には
一億を超える人間が住んでいるのだから、
それはそれは
たくさんの生産活動があり、
明日を夢見て
力強く働いている人や
勉強している人、
つまりいのちの活動が
無数にあるわけである。
だから、
私たちも
頑張らないといけない…。

私の育ちかたは、これで良かったのだ

2013-06-29 18:29:53 | 日記
人には
もって生まれた
心の傾向がある。
もちろん、
人の心の奥底には
神の子の心が
誰にあっても
存在している。
だが
人間の心は
環境世界によって、
影響され、
それに対応し対処して行きつつ、
形成されていくものである。
実をいえば、
私は心に印象した暗いものを
払拭するのに
人生の後半生を
費やしたわけであった。
でも結果的に
私はこれ(私の幼児期と児童期)で良かったのだと
思っている。
ちょっと説明不足なので付け足すと
私の祖母が老人性の痴呆症であったことと、
母が重い心臓病であったため、
私の子ども時代は
私の心も
その影響を
受けていたのである。

幼児期に心に印象するもの

2013-06-29 18:18:04 | 日記
私は
自分の幼児だった時や
小学校時代を思いだすと、
その頃の
家庭の状態、
特に家庭における人間関係が
子どもの心に
潜在意識として影響をあたえることが、
実に甚大であると思う。
それが良いとか悪いとかを
私は言わないが、
人の人生観や、
心の傾向を作り上げていくのが、
この幼児期児童期の
家庭の状態であると
私は確信するのである。

無鉄砲な遊び方をした

2013-06-28 21:45:08 | 日記
小学校時代の自分を考えると
ずいぶん
無鉄砲な遊びをした。
逗子に広山というのが
海の近くにあり、
近所の子と二人で遊びに行ったときは、
むかし軍隊で
高射砲に使ったあとが残っていたので、
塹壕みたいな狭い洞穴に入り、
こわい思いをした。
桜山という小さな山に
家にあった錆びた日本刀を持っていき、
木を切り落としたりして遊んだ。
つるがたくさん木から垂れ下がり
巻いたりしている場所で
ターザンごっこをして楽しんだ。
海の近くの石垣には、
穴ぼこがたくさんあり、
その穴にカニが住んでいて
それを取ってバケツに入れたりした。
海の浪子不動附近ではタマというタニシみたいな貝が
とれたので、
それを家に持ち帰り
砂糖醤油で食べたのが
おいしかった。