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人間がすばらしい理由

2012-05-31 15:44:30 | 日記
自分に宿る
最高完全なる理念、
それが神の子であり、
そのものは
われわれを賞めたり
けなしたりしている。
そうした規準というか標準を
誰もが心の奥に
秘めているのだ。
人間がみなすばらしいというのは、
それが故であって、
現象のあれこれ悩んだり、
失敗したりして生活しているそのままが
素晴らしいというわけではない。
人間の
本来の姿が
すばらしいのである。

現象の全ては実相を説いている

2012-05-31 14:24:31 | 日記
現象世界はすべて「夢」であると
道元禅師は説いている。
【凡ゆる現象界は全てこれ夢だ。これを「明々なる百草」と言う。眼前に明らかにあるように見えているところの諸々の現象だ。人々はそれを摑まえて色々迷ったり疑ったり争ったりしている。これは夢だ。草を夢見る中で、草が草を説く。これを色々分析して、根や茎や枝葉や華や果を学習する。光色形などを研究するが、しかしこれらは共に大夢である。この夢は吾々が普通見ているあの漠然とした夢のことではない。現象という意味であるから、誤って理解してはならないのである。】
それではこの現象は、どういう意味があるのだろう? これについても、引用させてほしい。
【この素晴らしい乗り物、即ちこの現象生活が、そのまま道場である。それ故「直ちに道場に至る」のは、「この宝乗に乗る」ことだ。それ以外に道はない。曲った夢や真っ直な夢、色々あるが、それらを時に把定(はちん)し(摑み)時に放行し(ほうあんし=放ち)、自由自在に活用しつつ楽しんで暮す。このように会得した時、この世はそのまま大法輪を転じているのであり、その説く真理の内容は無量無辺である。ある時はごく微細な塵の中に真理が説かれていて、この塵中の説法はこれ又休みなく続いている。】
道元禅師の説くところによると、実はこの現象は全て、実相を説いていると、いうことである。
すごい真理だ。
(参考 正法眼蔵を読む 夢中説夢の巻 谷口清超訳)




生々しい文体の、有島武郎

2012-05-30 21:47:44 | 日記
有島武郎の書いた小作品が、
童話的に扱われて
小学生の読む作品集の中に
入っている。
「おぼれかけた兄妹」という短編であり、
わが家に勉強にくる小4の子と一緒に
それを読書した。
読んで見て
実に文体が生き生きとしていて、
しかも生々しい文章になっていることに
気がついた。
様子がはっきりと目に浮かび、
実にリアルだ。
有島武郎の本は
昔ちょこっと呼んだことがあったが、
その時も、
意識の現実性と
生々しさを感じたことを
覚えている。
こういう意識の持ち方で
毎日を過ごすというのは、
苦しい「生」なんじゃないかな、
とも思った。
有島の小説を
なんか読んでみたく思う。

シェフからいただいた山菜の、おいしかったこと

2012-05-30 21:14:06 | 日記
先日
清掃の帰りに
代々木八幡のシェフの店でお昼を食べた時に、
シェフは
「群馬のオヤジが取ってきたものです」と言って、
コゴミという山菜と
山ウドという山菜を
私に渡してくれた。
家に帰って家内に話したら、
何とかする、
と言ってくれた。
数日後、コゴミは
胡麻あえにしてくれたし、
山ウドは、
油いためにして
料理してくれた。
どちらもすごくおいしかった。
こうした野や山でとれるような山菜には、
菜の花やフキノトウも入るのかと思われるが、
かつてフキノトウの天ぷらを初めていただいた時には、
あまりのおいしさに、
感動したものであった。

現象世界は非実在であると、わかる必要がある

2012-05-29 09:12:35 | 日記
現象世界は
実在でないという真理は
「生命の実相」を繰り返し読むと
効果がある。
だが、本当にわかるには、
哲学的に理解する必要があって、
そのため
私は仏教哲学を説く「正法眼蔵」であるとか、
「臨済録」を
必要としたのだ。
ただこれらの本も
知的解釈ではなく、
「般若の智慧」「実相の叡智」をもってしか、
わかることは難しい。
そのような智慧を磨いていくことが
先決だ。