私が一日に5、6回実修する神想観のうち、
何故最後に就寝前にやるものにだけ、
後で特別な安心感や今夜もまた護られる、
といった感じのものになるのだろうか。
その日の最後にやる以外が
別に無効であるのではないのである。
それらだって、
良い感じでその都度終わっていることは
間違いないのである。
でも最後の回においては
私の場合に於てであるが
多分指導霊の助けがあって、
私が無我になれるのである。
この無我の状態になると神我がとって代わるので、
この時鼻から吸う空気が
本来そうである霊(実相)に質的変化するみたいなのだ。
このことは私現象人間からみての感想である。
結論を言えば、
神想観が霊的神想観になって成功するのは、
自我が神我に質的変化する時である。
何故最後に就寝前にやるものにだけ、
後で特別な安心感や今夜もまた護られる、
といった感じのものになるのだろうか。
その日の最後にやる以外が
別に無効であるのではないのである。
それらだって、
良い感じでその都度終わっていることは
間違いないのである。
でも最後の回においては
私の場合に於てであるが
多分指導霊の助けがあって、
私が無我になれるのである。
この無我の状態になると神我がとって代わるので、
この時鼻から吸う空気が
本来そうである霊(実相)に質的変化するみたいなのだ。
このことは私現象人間からみての感想である。
結論を言えば、
神想観が霊的神想観になって成功するのは、
自我が神我に質的変化する時である。