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今年、去年より生活が拡大している

2014-12-31 20:20:57 | 日記
私は
午年生まれです。
今年は
馬みたいに
かなり強引に(無理もして)
一年間
駆け抜けてきました。
1月に
体質改善反応があって、
まずそれを
やり過ごしました。
祐天寺のマンション清掃が
4月から始まり、
体を動かすことを
多少無理矢理強行しました。
中学3年生一人を
4月から
自宅指導に加えました。
その他
私の生活領域が
質的に
拡大しました。
でも
これは、
私の実相が出てきたことと一緒であって
無理したみたいで
無理ではないのです。
人間は神の子なのだから、
まだまだ十分に
働けるはずです。

今年
大きな出来ごとが
ありました。
私の住んでいた場所を
家も土地も二等分し、
半分の部分を取り壊し
甥っ子が
越してきたのでした。
このことは
非常にスムースに
なされたのでした。
つまり隣家は
甥の家となりました。

明日元旦だけど、おそうじするのが楽しみ

2014-12-31 17:43:39 | 日記
明日元旦だけど
祐天寺まで
マンション清掃に行く。
実はそんなことも
楽しみだ。
多分元旦だから
町は静かだろうし
多くの店は
しまっていると思う。
でも元旦に
おそうじするって
何か楽しい。
つまらないことに
楽しみを見出すものだと
思うかもしれないが、
私は
そういう静かな
人々が家にいて
あまり動くことをしない日に
一人動いて
仕事することが
楽しみだ。

神想観に熟達するならば・・・

2014-12-30 18:07:12 | 日記
神想観は
なかなかやり方がわからない、とか
難しい、とか
言う人が多く、
本当にしっかりと
取り組んでいる人は
そう多くない。
また
ただやっているだけで、
マンネリみたいになって、
神想観から
喜びとか
充実感を
確実に得ている人も
そんなにはいない。
神想観は
真理が深まっていき、
神(仏)を
深く求めるようになって初めて、
荘厳な宗教的行になるのだ。
だが
この時間が
待ち遠しいというほど、
神想観に深まりが出てくると
その功徳は無限であり、
次から次へと
実相に属するすばらしいものが、
次から次へと惜しみなく、
続出するようになってくるのだ。

神想観は「神を想う」べし

2014-12-30 17:54:37 | 日記
神想観において
私はだんだんと
「神」を観ずることが
できるようになってきた。
神想観というのはその名の如く、
「神を想う」ことが
鍵であると
私は見ている。
もっとはっきり言えば
神の子と神の国を
心の眼で「観る」ことだ。
でもはっきりと
観ることなどはじめは出来ないので、
神を想う程度で
いいのかと思う。
それだって
最初からは無理であり、
真理を学んでいるうちに
ああそうか、この現象世界の裏にというか奥には
実は神の国が
ペッタリ
貼りついているんだなと
わかってくるのである。
やはり
「生命の実相」とか
「正法眼蔵を読む」を
熟読しているうちに
だんだんと
そういう方向に来た、というのが
私の場合である。

先生と一緒に食べたお菓子

2014-12-29 18:45:53 | 日記
横浜市の金沢八景にあるホームに行き
小学校6年生時の担任の先生に
会ってきた。
この女性の先生がおっしゃるには、
私たちの年度の教え子が
逗子の小学校で間もない時代の生徒だったので、
一番印象に残っている、
ということであった。
クラスのメンバーの一人一人の名を
今日は思いつくがままに取り上げて
そのエピソードを
話されるのであった。
正直
もう何十回も聞いた話ではあったが、
聞くたびに
先生に印象されている、
子供と結びついている出来ごとの
先生の心に深く刻み込まれていることの強さに
感じさせられるものが
あるのであった。
おもやげに持っていったお菓子を
今食べたいと先生はいうので、
二つに割り
共にいただいだ。
先生は
お菓子を一緒に食べたことを
決してわすれない、というのであったが、
また来春
お菓子をもっていって
一緒に食べるつもりでいる。