神想観の「観」とは、肉眼で見るのではなく、精神統一をして、ひたすら心の眼でみる事であります。観ずれば現われる。観じなければ現われないのです。
(詳説神相観 谷口雅春)
【実相を覚るにはどうしても神想観をして存在の実相と自己生命の実相とを正観することが必要なのです。神想観によって吾々は存在の奥の奥に横たわる円満具足の本質を悟ることができるのです。】
【神想観の「観」とは、肉眼で見るのではなく、精神統一をして、ひたすら心の眼でみる事であります。観ずれば現われる。観じなければ現われないのです。】
【"生命の実相”と、申し候事は此の世界がこのまま神の国であり、人間はそのまま神の子なりと申すに候。観ずればそれが現われるものに候。観ぜざれば現われる事なし。さればこそ心を心を静めて実相を見よと申すに御座候。現象に如何なる悪顕われ候とも何れも神の作り給える実在にはこれ無く候間気にかけずに唯実相円満完全なる相のみを観ずれば結局は円満完全なる実相顕るるものにこれ有り候。】
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