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人間は始めから悟り(真如)の中にいて、「迷ったり悟ったり」している。

2021-04-08 11:18:15 | 日記
人間は始めから悟り(真如)の中にいて、「迷ったり悟ったり」している。
①人間の幸・不幸は「観」の在り方次第。
②人間は能力の95%は使っていない。(4月4日ブログ)
③自分の外に神があると思っていてはダメ。自分の本体が「神」と思うこと。
④自分の希望は「神が植えつけておいた希望」だから、祈って求めれば必ず叶えられることになっている。人間の実相は“神の子”であるから。これが「求めよ、さらば与えられん」の本当の意味。
⑤人間は「真如」(さとり)の中において迷ったり悟ったりしているという真理に気付くべき。
 

われらの希望は吾々を創造した所の偉大なる力(神)が、吾々に生み付けた所のものであるから、吾々が努力さえすれば結局は満足せられるはずのものなのだ。

2021-04-08 10:46:42 | 日記
人間は神の子であるから、
宇宙の大生命は
人間に必要な希望を植えつけておいたのであり、
その希望の達成のために
人間が積極的な向上の態度にて求むれば、
適当な位置と場所を
神から与えられることになっているのである。
「求めよ、さらば与えられん」の本当の意味はこれである。
(祈りの科学 谷口雅春)
【繰り返し繰り返しマン女史がこういう意味のことを説明しているうちに、その男も段々その真理がわかって来たのである。結局、彼の欲する所のものは、宇宙の大生命が彼に植えつけた所の希望であり、従ってその希望をみたさんがために必要な努力を養成する所の適当な位置を人間は神から与えられるものだということに納得がいったのである。そして結局これらの希望は吾々を創造した所の偉大なる力(神)が、吾々に生み付けた所のものであるから、結局それは満足せられるべきものであり、吾々が努力さえすれば決して失敗する恐れのないものであるということも納得がいったのであった。】
 

マン女史はその男に祈りということは間断なく(実相を与えられていることを)(神に)感謝することであるということを教えたのであった。

2021-04-08 10:19:19 | 日記
人間は神の子であるから
神に属する一切のものを与えられている。
これらは
「知恵・愛・生命・供給・喜び・調和」なのであり、
神の子として全てが初めから与えられ済みであることを、
つまり自分の実相が神であることを
感謝することが
間断なき祈りということである。
・しかしどうしてこの男は失敗したのであろう。
・それは人間には自由意志が与えられているのであるから、神のみ心と一致して働くこともできれば、神から離れることもできるからである。
・神の協力を得て働くためには、まず神を認め、神の協力を得るための自由意志を起こさなければならないのである。
・さて、どうしたら神に協力を受けることができるであろう。
・マン女史はその男に祈りということは(実相を与えられていることを)(神に)間断なく感謝することであるということを教えたのであった。
(祈りの科学 谷口雅春)
【しかしどうしてこの男は失敗したのであろう。それは人間には自由意志が与えられているのであるから、神のみ心と一致して働くこともできれば、神から離れることもできるからである。神の協力を得て働くためには、まず神を認め、神の協力を得るための自由意志を起こさなければならないのである。神は決して人間に対して「是非わが助けを受けよ」とは強制し給わないのである。だから神の協力を得ようと思うならば、吾々が自由意志によって神の方へ自分の心をふりむけその導きを受けなければならない。そこまで此の男はわかったのであるが、さて、どうしたら神に協力を受けることができるであろう。
「私にはどうしたら神の導きを受け得るのかわからないのです。それを知りたいのです。」とその男は一寸おろおろした声でいった。
「それは祈りによってです。」とマン女史は答えた。「祈りの外にありません。」
「私は今までの生涯にただ一度も祈ったことがありません。どう云って神に必要なものを祈り求めたら何いのか知らないのです。」
「あなたは乞い求めなければならないことはありません。」とマン女史はいった。「あなたは唯すでに感謝すべきものをどんなに沢山もっているかそれを見るだけで好いのです。すでに与えられているものに間断なく感謝すること、是が間断なき祈りになるのです。その感謝の念の波長によって、めぐみの霊波と波長の合う心の波ができるのです。かくて、何をなすべきかが吾々にわかって来るのです。吾々はこうして更に感謝の念を起こす。そして感謝の言葉を唱えながら、自然に導かれてやりたくなって来る所のことをやるのです。すると、結果が現れるのです。」こうしてマン女史はその男に祈りということは間断なく感謝することであるということを教えたのであった。】