人間は神の子であるから
神に属する一切のものを与えられている。
これらは
「知恵・愛・生命・供給・喜び・調和」なのであり、
神の子として全てが初めから与えられ済みであることを、
つまり自分の実相が神であることを
感謝することが
間断なき祈りということである。
・しかしどうしてこの男は失敗したのであろう。
・それは人間には自由意志が与えられているのであるから、神のみ心と一致して働くこともできれば、神から離れることもできるからである。
・神の協力を得て働くためには、まず神を認め、神の協力を得るための自由意志を起こさなければならないのである。
・さて、どうしたら神に協力を受けることができるであろう。
・マン女史はその男に祈りということは(実相を与えられていることを)(神に)間断なく感謝することであるということを教えたのであった。
(祈りの科学 谷口雅春)
【しかしどうしてこの男は失敗したのであろう。それは人間には自由意志が与えられているのであるから、神のみ心と一致して働くこともできれば、神から離れることもできるからである。神の協力を得て働くためには、まず神を認め、神の協力を得るための自由意志を起こさなければならないのである。神は決して人間に対して「是非わが助けを受けよ」とは強制し給わないのである。だから神の協力を得ようと思うならば、吾々が自由意志によって神の方へ自分の心をふりむけその導きを受けなければならない。そこまで此の男はわかったのであるが、さて、どうしたら神に協力を受けることができるであろう。
「私にはどうしたら神の導きを受け得るのかわからないのです。それを知りたいのです。」とその男は一寸おろおろした声でいった。
「それは祈りによってです。」とマン女史は答えた。「祈りの外にありません。」
「私は今までの生涯にただ一度も祈ったことがありません。どう云って神に必要なものを祈り求めたら何いのか知らないのです。」
「あなたは乞い求めなければならないことはありません。」とマン女史はいった。「あなたは唯すでに感謝すべきものをどんなに沢山もっているかそれを見るだけで好いのです。すでに与えられているものに間断なく感謝すること、是が間断なき祈りになるのです。その感謝の念の波長によって、めぐみの霊波と波長の合う心の波ができるのです。かくて、何をなすべきかが吾々にわかって来るのです。吾々はこうして更に感謝の念を起こす。そして感謝の言葉を唱えながら、自然に導かれてやりたくなって来る所のことをやるのです。すると、結果が現れるのです。」こうしてマン女史はその男に祈りということは間断なく感謝することであるということを教えたのであった。】