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Being(存在)の言語を使う人

2012-12-31 17:07:48 | 日記
マスローは、
初対面の人であっても、
高次の価値を認めているが故に
会話が人を傷つけたりせず、
相手の本質的な善さを認め、
お互い高めあえるような人間が存在することを
述べている。
興味深い指摘であるので、
引用したい。
(参考、「人間性の最高価値」A・H・マスロー 上田吉一訳)
【ここで、私が折りにふれて観察してきたところから、一つの副次的な仮説が生まれる。それは、高度に発達をとげた、成熟した人びと(「高次の人格」?)は、初対面の時でさえ、生活の水準において、私がB言語(註:Bというのはbeing存在のこと)と呼んでいる言葉を用いて、異常なほど早く意志を疎通させることができる、ということである。ここではただ、私のいいたいことは、B価値が存在し、まさに真実であり、それを容易に認める人もいれば認めない人もいること、B価値を認めない人びとのコミュニケーションも正しくて真実な場合もあるが、その場合は、意味や重要さの点で、より低い、未完熟な段階のものにとどまるはずだ、ということである。】



父の子であったことが、私の人生最大の幸運

2012-12-31 16:13:09 | 日記
先日私は
私の人生最大の幸運として、
谷口雅春氏の「生命の実相」という本に
めぐりあえたことを、
ブログ投稿したのであったが、
今度はこの人生でめぐり合えた人物について
人生最大の幸運と思っている人を
書くことにする。
それは誰かといえば、
他ならぬ私の父親である。
めぐりあったというよりむしろ
出あう宿命であった人だが・・・

私の父は
一介の巷の高校教師であったに過ぎないが、
人格者という点においては、
子である私がいうのもなんだが、
超一流であった。
父はたくさんの生徒を
自然体のふるまいの中から育て上げ、
周囲の多くの人たちに
感化力によって
生きる希望を与えてきた。

この父の子の長男として生まれた私は、
子どもの頃は父になじまず、
むしろ憎んで育ったのであったが、
今考えると、
この父が、
私のごとき繊細かつひ弱であった難しい子どもを
自主性を尊重しながら大学まで入れ、
その後私が職業についてからも、
はたから見守り続けてきてくれたのであった。
私の母は
私が15歳の時に病死したので、
その後父は
男手一つで
高校教師をしながら
私の姉と私を、
育て上げ、
その後
医者になり結婚した姉と
教師になった私を
心で側面援助しながら、
自らの教師人生を
80代前半まで、
送り続けたのであった。
私は
本当に折れやすい
ひ弱な人間であったのだが、
わが父は
みずからの凜(りん)とした生きざまを通して、
私をバックアップし続けたのである。
父の他界は96歳であったが、
この父が親子の因縁の中において、
至難の人生を送るべく宿命づけられていた私を、
自らの背中を見せることによって、
私を幸福な人生へと
導いたのであった。
まことにも素晴らしい父をもったことが、
私の人生最大の幸運であった。

人生は不条理でいっぱい

2012-12-30 17:23:00 | 日記
私が人から話を聞くところでは、
誰の運命も
数奇である。
結婚にしろ
職業にしろ
やってみないと分らないところが、
満ち満ちているのが、
人間の人生である。
神様仏様を持ち出そうと思っても
それを言いにくいほど
人生は
不条理でいっぱいだ。
それでも
私は
神の存在を
信じている。

自分の人生をワープロで書いておくのもいいのかも・・・

2012-12-30 16:48:48 | 日記
私の人生を
本にしてくれと、
言う人がいる。
それは確かに
私の人生は
ちょっと一風変わっていて、
不思議な荒波に揺られ揺られ、
それでも、
仏様のお慈悲というかお力で、
今日の今まで頑張って来られたのであるが、
そういうのを本にするとなると、
ちょっと
抵抗があるのである。
秘密にしておいた方が
心安らかだ、
ということが、
きっと誰にでも
あるのではなかろうか。
でも
パソコンには、
「ワード」のようなワープロ機能もついているから、
それで書いたものを、
CDに移していくというようなことを、
始めるのもいいことかなと、
思い始めている。

私の人生最大の幸運

2012-12-29 21:07:29 | 日記
私は
人が生きるのに
羅針盤みたいなものが
必要だと思います。
何か
自分の行動を測るためには、
評価基準がいるのです。
私の羅針盤にあたるものは、
谷口雅春氏著の
「生命の実相」40巻です。
これは、
私の人生を導き、
弱い私を支え、
私の行動を
正しい道へと導きました。
この本に廻りあえたことが、
私の人生最大の幸運でした。