gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

やもめのレプタ

2017-03-31 10:47:48 | 日記
<マルコによる福音書第12章>
(12・41―44)やもめのレプタ
(41)イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
(42)ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは1コドラントに当る。
(43)そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
(44)みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。

現象人間がすべて善人に見える必要もない

2017-03-31 09:21:43 | 日記
人を観る場合に
すべての人が善人に「みえる」ことが
(実相においてという意味ではない)、
実相を観ることができていると
言えるのだろうか。
実相においては
すべての人間は神の子であるから
人間の実相は「神の子」と観なければ
人間というものの本当の理解ではありえない。
でも現象の人間を観る際に
一人の人間に混在している仏と魔(迷い心)を
見分けられないようでは
これも
実相を観る眼力が
出来ていないということになる。



律法学者への警告

2017-03-30 10:58:50 | 日記
<マルコによる福音書第12章>
(12・37b―40)律法学者への警告
(37b)大ぜいの群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた。
(38)イエスはその教えの中で言われた、「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くことをや、広場であいさつされることや、
(39)また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。
(40)また、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。

円満完全の念を把持して世の中を明るくしよう

2017-03-29 12:52:27 | 日記
さっき
円満完全の世界観で
すこしでも世の中を明るくしよう、
という気になった。
時々人のことを疑ったり
悪く思ったりすることが
神を信ずる人に似合わず、
あったりする自分であるが、
どの人も
根本は神の子と思えなければ、
信仰者とはとても言えない。
今そんな気持ちになった。
みんな神の子なんだから、
神性(仏性)が本体だ。
現象はどうあろうとも
実相は神の子であり、
みんな神の国に住んでいるのだ、
このことを自覚できて
良かったと思う。

キリストはダビデの子か

2017-03-29 10:36:14 | 日記
<マルコによる福音書第12章>
(12・35―37a)キリストはダビデの子か
(35)イエスが宮で教えておられたとき、こう言われた、「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子だと言うのか」。
(36)ダビデ自身が聖霊に感じて言った、
『主はわが主に仰せになった、
あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、
わたしの右に座していなさい』。
(37)このようにダビデ自身がキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」。