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吾等は物資の世界の奥に存在している「視えない神」の力を信じなければ、 「心の力」を使うことはできない。

2021-04-01 11:07:02 | 日記
吾等は物資の世界の奥に存在している「視えない神」の力を信じなければ、
「心の力」を使うことはできない。
つまり物質が存在していると思っている限り、
神の力つまり「心の力」を
使うことは不可能なのである。
「心の力」とは
「神の心」の「力」のことである。
物質は非実在だと、
信じることが信仰である。

参考 真理第三巻 第10章 今此処が極楽世界の自覚)
<物質を信じたら心の力は顕われない>
 われわれが物質的世界のみを信じておりましたら、「心の力」は湧き出てはまいりません。若しあなたが「心の力」を充分発揮しようとお考えになりましたならば、この物質と見えている世界の奥にある「心の力」・・・何が物質と見えるものをあらわしているか・・・その元の力を信じなければなりません。単に「物質」を見るだけではなく、それをあらわし出したところの「心の力」を信じなければなりません。そしてその「心の力」と同じ「心の力」が自分にも宿っていると云うことを知らなければなりません。
 もっと判りやすく云えば、物質と見えて」いるものも「心」だと云うことなのです。「物質」と云うものは、実は「心」が「物質」の形にかたまったものだと云うことです。

あることを神に祈っていれば必ず神からの応答(こたえ)はあるのである。日常の仕事を感謝してすなおに実行していると、次に大きな神の応答があるものなのだ。

2021-04-01 10:08:57 | 日記
あることを神に祈っていれば必ず神からの応答(こたえ)はあるのである。日常の仕事を感謝してすなおに実行していると、次に大きな神の応答(こたえ)があるものなのだ。
・祈りには、必ず神からの応答(こたえ)というのがあるのである。
・その応答は必ずしも耳に聞こえる言葉によって来るのではない。日常の仕事の中に、日常の人と人との交わりの中に、何か与えられる小さな導きにそれはあるのである。
・それに感謝してすなおにそれを受け喜んで実行する時、次に大きな神の応答(こたえ)がやって来るのである。
・神の応答に対する人間の応答は、神に対する感謝行として尚一層大きく隣人への奉仕を進めて行くことである。
(祈りの科学 谷口雅春)
【祈りには、必ず神からの応答(こたえ)というのがあるのである。その応答は必ずしも耳に聞こえる言葉によって来るのではない。日常の仕事の中に、日常の人と人との交わりの中に、何か与えられる小さな導きにそれはあるのである。それに感謝してすなおにそれを受け喜んで実行する時、次に大きな神の応答(こたえ)がやって来るのである。神の応答に対する人間の応答は、神に対する感謝行として尚一層大きく隣人への奉仕を進めて行くことである。ある日この男はその数時間もかかる勤務先へ行くバスの中でふと拾った印刷物によって冷凍食料品の取り扱いに関する記事を見たのであった。彼は食料品の生産に前々から興味をもっていたので、ひきつけられるようにその記事を熟読した。そして遂にその食料品を生産する大会社を訪問したのであった。そこで彼は自分の幼い時から興味をもっていた食料品の生産に喜んで従事することのできる職業を見出したのであった。】
 

彼は自分が小さな雑貨店を営んで成功し得なかったのは、神が彼に対して、もっと天分に叶い奉仕可能な能力で生活させるために、自然とその職業から追い出したのだった。

2021-04-01 09:56:43 | 日記
彼は自分が小さな雑貨店を営んで成功し得なかったのは、神が彼に対して、もっと天分に叶い奉仕可能な能力で生活するべく、自然とその職業から追い出したのだと気がついたのだった。
神のはからいというものは
まことに愛に満ち満ちているのである。
(祈りの科学 谷口雅春)
【この仕事は彼にとって今までやって来たどんな仕事よりももっとも適したもっとも満足の行く仕事であった。思いもかけない天分に適するこの仕事を見出した彼は、自分がどれほど多く全世界に与えることの出来る力をもっているかということを吾ながら驚異の目をもって見成(みまも)ったほどであった。やがて彼は自分が小さな雑貨店を営んで本当に成功し得なかったのは、神が彼に対してもっと大きな人類への奉仕ができる天分をもっているのに、いつまでも小さな雑貨のやりとりをする位で生活するのは神のみ心でなかったので、自然とその職業から追い出されるということになったのだということに気がついたのである。】