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ベテスダの池の奇跡とそれに続く論争―イエスは命の君

2015-09-30 22:53:11 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第5章(5・1―47)ベテスダの池の奇跡とそれに続く論争―イエスは命の君
5・9b~18 安息日の律法を犯したことについて
9b その日は安息日であった。
10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」。
11 彼は答えた、「わたしをなおして下さったかたが、床を取りあげて歩けと、わたしに言われました」。
12 彼らは尋ねた、「取り上げて歩けと言った人は、だれか」。
13 しかし、このいやされた人は、それがだれであるか、知らなかった。群衆がその場にいたので、イエスはそっと出ていかれたからである。
14 そののち、イエスは宮でその人に出会ったので、彼に言われた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたに身に起るかも知れないから」。
15 彼は出て行って、自分をいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人たちに告げた。
16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。
17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる」。
18 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・9b イエスのいやしの行為は安息日律法の違反であるから、ユダヤ人はそのままにしておくはずがない。
・10 安息日律法は、十誡の第四にあたるたいせつな規定で、破る者は、死刑に処せられる。床をとりあげることの禁令違反を、ユダヤ人はそのままに放置することはできない。
・17.18 《今に至るまで》は、「休むことなくいつも」の意味が含まれている。ユダヤ教によると、神は六日で天地を造り、七日目は休まれ、そしてその日が「安息日」として人間も休むことが命ぜられているのであるから、イエスのこの言葉は、安息日の否定になる。イエスは神を《わたしの父》と呼んで、神と自分との間に、ほかに存在しない特殊の関係を主張したのだから、ユダヤ人はイエスを憎み、《殺そうと計るようになった》のである。

個人指導が欠かせないケース

2015-09-30 21:48:07 | 日記
私の自宅で教えている中一の生徒は
はっきりいえば、
英語も数学も
私の指導で
通知表3を維持している。
私のうちで勉強していなければ
どちらも2の可能性がある。
理由は
自宅でほとんど勉強せず
いつも母親が
自宅で勉強しないことを
こぼしているぐらいだ。
今年高校一年になった男子も
同様に
我が家で勉強するので
通信簿が普通以上を維持している。
英数は3はとれているが
うちへ来ていないと
それは難かいいかも知れない。
この生徒の場合、
指示されたことは頑張るが
方向が与えられないと
何を勉強すべきか
分からないのである。
だから2人とも
わが家で個人指導を受けることが
絶対に必要だ。
それだから、
私は責任感をもって、
指導に臨んでいる。



残念なNHK番組の偏向傾向

2015-09-30 21:46:39 | 日記
私は最近
NHKのテレビを見ていて
何か本来の中立性と
公共性から
外れているのではないかと
危惧を持つ。
娯楽番組が
「お笑い」的番組が
増えている。
政治番組は
中立とは言っているが、
現政治体制の批判的なニュアンスが多く、
はっきり言えば
見方が浅く
大衆に媚びている。
国民の理解などというが、
多くの国民は
そう深く考えないから
国民の意見重視ということになると、
どうしても
快楽や不満を多く取り上げることになり、
それは
本来の人間の正しい生き方を基準とすれば、
中立ならぬ
物質的傾向つまり偏向ということになる。
NHKは
残念ながら偏向の傾向がみられ、
本来の中立性を
取り戻すべきだ。


ヨハネ黙示録 第六章 七つの封印の解除―第一から第六 

2015-09-29 23:36:22 | 日記

(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
6・9~17 第五から第六の封印を解く
9 小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。
10 彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
11 すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。
12 小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起こって、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、
13 天の星はいちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。
14 天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島はその場所から移されてしまった。
15 地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。
16 そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。
17 御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。

(参考 増訂新版 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・9 第五第六の封印が解かれた時には、第一から第四までのように馬上の騎士が現われず、第五の封印解除の時には、天上における殉教者の姿が示される。彼らの《霊魂》は天上の《祭壇》の下にいたと言われている。これらの殉教者の霊魂は最後の正しい審判を待っているので、このことは人間の死と最後の審判との中間状態の存在を予想している。
・10 《主よ。いつまであなたは……》と言って、神の手による報復をうながしているが、このへんはユダヤ教的な考え方が表面にあらわれている。
・11 彼らは勝利者としての《白い衣》(復活後のからだ)を着せられ、また《数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように》と言い渡されたのであった。
・12 第六の封印が解かれると、終末における天変地異がおこるのであるが、第一に大地震が起こる。それは「万国民を襲う」世界的な地震であって、次に《太陽は……黒くなり、月は……血のようになる》のである。《毛織の荒布》黒い小羊の毛で造った荒布である。黒い太陽、赤い月は日蝕、月食のことであろう。
・14 《巻物が巻かれるように消えていき》巻物は巻かれても消えることはないが、パピルスの巻物が二つに裂かれるとその2片ともに自ら巻き込んで二つの小さい巻物に分かれてゆくように、天も裂かれて寸断されることを述べたものである。
・15 神の刑罰を受けるべき七つの階級の人々のことを述べている。彼らは《ほら穴や山の岩かげに、身をかくし》16 山と岩とに向かって保護を切望している。
・17 《御怒り》の原意は「彼らの怒り」であって、前節の「御座にいますかたと小羊との怒り」である。それは「神の正しいさばきの現れる怒りの日」である。

私を守護した精神世界

2015-09-29 21:30:59 | 日記
私は教師になり立ての頃、
地方に下宿して一人暮らしをしていたが、
教師仲間の一人から
モラロジ―(道徳科学)という団体があることを教えられ、
夏休みに
教育者研究会というものに
始めて参加した。
この団体は
最高道徳という
普通道徳を一歩進め、
品性を高めることを目的とした道徳の
実践と普及の団体であり、
品性の高い教師を育てることを重視していた。
そして教育こそが
明るい未来の日本を育てるものと考え、
教育の分野にかなりの力を
入れていたのであった。
私はこの団体に入った時から、
目にみえぬ力が、
私をバックアップしてくれるのを感じた。
私の「人生の船」は
ここから明るい方向に向かい始めた。
私はその後4年ほどして、
これもひょんなところから
人類光明化運動に触れ、
そちらの方面からも
強力な神の支援が加わったが
この二つの団体に所属していたから、
守護の力が働いて、
教師をしている間中
不思議な力の支えが
あったのである。
だがもう一つ大事な大事な守護があったのを
忘れていた。
それは仏教の世界からの守りである。
私は教師になって数年後坐禅を始め、
数年後真言宗で
結縁潅頂をいうのを受け、
在家出家したのであるのだが、
これも私を大きく守護しているに
ちがいないのである。