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新約聖書「ヨハネによる福音書」新共同訳

2021-05-31 12:30:03 | 日記
新約聖書「ヨハネによる福音書」新共同訳
3章 天から来られる方
31 「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。
32 この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。
33 その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。
34 神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が“霊”を限りなくお与えになるからである。
35 御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。
36 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」

現象の世界に見えない「神の国」を樹立する

2021-05-31 10:20:04 | 日記
<現象の世界に見えない「神の国」を樹立する>
イエスは「“神の国”は汝の内に在り」
と言いました。
私たちに必要なことは、
その“神の国”(神の子)を心の目で観じることによって
現象に現わし出すことです。
そのためには「内」に“神の子”が居ることを
確信する必要があるのです。
「信」が決めてであり、
だから「観」が生きてくるのです。
ヨハネ伝第1章14節に【言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。】とあります。
ですから「言」は人間の「内」にあり、
人間の本体です。
人間の内に「佛様」が厳然と存在しているのです。
その見えない佛様がいると信じること、
それが「信」です。
聖書が、
「人間は神の肖像(イメージ)として造られた」という、
そのイメージが人間の本体であり、
したがって人間は“神の子”なる神であります。
この見えない“神の子”なる神つまり本来の面目を神想観において心の目で観じて、
現象世界に観の力で顕わすのです。
我の力で作り上げるのではなく、
あるのだから素直にいただくのです。
「信」があればその「信」によって
「神の子・神の国」は少しずつ、顕われてきます。
現象に神が顕われます。
【神があらわるれば乃ち善となり義となり慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物処を得て、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。】のスカッとした状態が、
現象に出てまいります。
真人間の、理想的な生活状態が現われ、
人との人間関係も調ってきます。
神性隠蔽が徐かれるにつれ、
真に明るいうそのない生き方が、
自分の周囲に現われてくるのです。
実相が現われない生活は
やはり神性隠蔽という無理をかかえているので、
ウソの混じる生き方から抜け出せません。
 

谷口雅春先生の病気の原因についての記述は重要です。

2021-05-30 12:41:25 | 日記
<谷口雅春先生の病気の原因についての記述は重要です。>
谷口先生は病気の原因について
多くの記述をなさっており、
生長の家の横の真理をつかって、
治癒するために病気に応じた心の使い方を
数多く指導されています。
実際のこうした治癒指導には縦の真理と横の真理の
両方を使う場合が多いと思いますが、
病気の原因がどういう心の使い方の誤りから由来したかという
病気の原因の的確な指摘は、
実に正しいのではないでしょうか。
これについてはニュー・ソートの指導者はやっていない、
雅春先生特有の真理だと思います。
心の使い方の、
こういう考えがこういう病気をつくったとか
ああいう普段の間違った心の使い方が、
あんな病気をつくるのだという指摘は、
病気になって始めてその正しさが分るのであり、
先生は非常に多くのこうした点についての記述があるので、
これは大変な財産と云えるのです。
こわいほど真実であるこれらの記述は
普通人は気にとめないでしょうが、
実はとても重要であって、
『生命の実相』『真理』というような聖典は、
これを広く人々に読んでいただく方向へと
すすめることが大事なのです。
この両者を人々に行き渡るようにすることで、
人を救えるのですから。
 
(参考 真理第三巻 第12章 女性の自覚のために)
<湿疹は心で治ります>
 子供の頭に湿疹が出来て中々治らない方は、徹底的に良人に感謝するようにして御覧なさい。不思議にきっとなおるのであります。頭は目の上にあり、肉体は心の象徴でありますから、目上の人に対して、イライラする思いとか、不幸に思う感情とかが象徴(かたち)としてあらわれるのであります。子供の頭に湿疹ができたときなどは、その母親たる婦人が、良人及び舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)に心の底から感謝するようにして治った実例が沢山あります。迷信などと考えないで実際やって御覧なさい。
 
 
 
 
 
 

現象の事物はすべて、自分に対して「神」の愛を啓示している

2021-05-30 11:16:01 | 日記
<現象の事物はすべて、自分に対して「神」の愛を啓示している>
現象のすべては「「見えない神の愛」である。
「物」だけでなく起こる「事」もそうだ。
ただそのことは現象の事物の物質面のみを見ていては分らない。
神を感じられるように霊的能力が増してくると、
現象の奥なる神の愛を感じられるようになる。
さらに現象のすべての事物が
他ならぬ自分自身に対する神の愛であることも直観できる。
「現象のすべてが」である。
神は愛であり、
それも深い愛だ。
 

因縁因果は幻のごときもの、見えない「神の国」のみ実在している

2021-05-30 11:01:08 | 日記
<因縁因果は幻のごときもの、見えない「神の国」のみ実在している>」
人間の本体は“神の子”つまり神であるから
現象世界も実相世界の反映として
円満完全であるべきである。
ところが人間は時間・空間の世界にいて
肉体と云う宇宙服をまとい、
五感を使い、
「自由な心」を使って実相の表現活動をするのであるから、
実相が通過する人間の心のレンズにおいて
実相ならざる迷い心(物質在りの心)が
レンズにしみを作る傾向があるのだ。
業というものはレンズのしみの集積である。
レンズの汚点は
時間・空間のスクリーンに反映されると
病気・不幸という実相の不在(マイナス)の形をとる。
しかし現象世界は実在の世界ではなく、
人間の実相表現の舞台であり、
演劇における舞台の役人物の如きものであって、
俳優さんはただ演じているだけである。
レンズにおけるしみの集積は
現象世界においては因縁因果の原因であるが、
雅春先生が「業なし、因果なし」とお説きになっているのは、
実相自体は、
たとい人間の心のレンズにしみができた時でも、
見えない隠れた存在として
ちゃんと通過しているということだから、
この現象世界は、
やはり円満完全つまり「神の国」なのである。
「円満完全大調和」の見えない理念が
実在しているのである。
「神の国」はこの現象世界の奥に、
いつだって存在しているのであり、
それが“神の子”つまり本当の自分である。