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2019年2月勉強会資料

2019-02-16 19:08:14 | 日記
目次
1 現象世界は時間空間世界における実相の振動であり、
現象世界の奥に神の理念である「実相世界」が厳然と存在している。<実相と現象の関係を知る必要>がある。
2 実相世界とは神の第一創造の世界であり、これが永遠の法則として現象世界を貫いている。この<“実相独在”の真理、つまり“生命の実相”を知る必要>がある。
3 人が現象世界に誕生した目的は、実相世界に於ける本来の在り方(自他一体)を、真理の顕現及び愛の実践によって、完成することである。真理とは“人間神の子”の真理であり、<父なる神と神の子の“親子関係”を取り戻すことで、人間誕生の目的が果される>ことになる。
4 創造の神はとこしえに「実相世界」(神の子・神の国)の理念の創造を続けているのであるから、吾等は祈りにおいて、その神の国に対する「信」と「観」を深め、強めるだけでよいのである。<実相の顕現は人間が「我」で行うのでなく、神の創造した世界を神に全托することで果たされる>。

      (目次1に関連した投稿)
無時間・無空間世界へ還元することによってのみ自由自在のはたらきが出来てくる
2019-02-07
(参考 神癒への道 谷口雅春 日本教文社)
何故無時間無空間の世界へ還元して行くことが必要なのかというと、
そうしないと
自由自在になれないからなのです。
そのことの理由が
ここに述べられています。
また雅春先生は
時間空間を超えた世界に還元するには
神想観という観法が必要であることも
お書きくださっています。
【人間は自由自在にならぬと幸福になれない。人間の自由自在の本当の働きというものは時間空間を超えた世界へ入って行った時に初めて本当の働きが出来るのであります。宮本武蔵の所謂「無構えの構え」であります。「無構えの構え」というと、結局「現象的構え」じゃないのであって、時間空間十字交叉のあの中心の『今・此処』の一点へ帰っていって、そしてどこへも自由に出られる姿になっているのであります。これこそ真に「無構えの構え」であって、その時には、相手がどこから突き込んで来ても自由に受けることが出来るのであります。これは何も剣道のことを云っているのではありません。すべて吾々は、一瞬一瞬、無時間、無空間の世界へ還元して行くことによって、そこからのみ自由自在のはたらきが出来てくるのであります。そのために吾々は常に神想観によって、吾々のいのちの本源へ立ち戻るようにしなければなりません。そこでキリストは「吾はいのちの泉である、本源である。われに汲む者は永遠に渇かず、死すとも死せず」などということを仰ったのであります。「吾に汲む者は永遠に渇かず」と云うのは、時間的流れ、空間のひろがりの中に生命を求めているだけでは渇くときが来る。それは有限の世界であるからであります。これに反して、時間空間を超えた中心・その本源に“いのち”の水を汲んだ時に、吾々は永遠に死なないということになるのであります。】

(目次2に関連した投稿)
永遠の法則(実相独在)に全托
2019-02-15
聖経『甘露の法雨』が
【万物はこれ神の心
万物はこれ神のコトバ】と書いているのは
実相世界のことです。
この「実相」が空なる、移り変る現象を貫いていて、
「神の心、神のコトバ」が最初から最後まで現象世界を縦に貫通していて、
これを「生長の家縦の真理」と言い、
この在り方を「実相独在」といいます。
谷口雅春先生がこの縦の真理に触れている文章があります。
(参考 神癒への道 谷口雅春 日本教文社)
【大生命の生命波動として発せられたるコトバはそれは「永遠の法則」となるのである。法則とは、「ノリ」であって、神の言葉が「宣り」だされたものであり、その言葉によって、宣りだされたる肉眼にはまだ見えぬ所の「原型」を称して「理念」というのであります。その理念に従って目に見える具体的な現象は姿を現わすのであります。肉眼に見える現象は常に移り変るが、理念は永遠に変ることなき実体なのであります。「理念」は譬えば種の中にすでに含まれている所の「やがて出てくる所のその植物特有の葉、茎、花等の原型」の如きものであります。それは尚肉眼に見えないが、また顕微鏡を通しても見えないが、それはその植物の(原型)「理念」として存在するものであって、現象界の生滅にかかわらず永遠不滅の存在として三次元空間以外の世界に存在するのであります。】
谷口雅春先生は
この実相世界の存在こそが
存在のすべてであり、
実相以外は‟実在“ではないので、
現象を超えた世界に存在する‟実相“を現象化させることによって
実相世界さながらの「神の子・神の国」同様の
素晴らしい現象世界を顕現することを
お説きになったのです。
「実相独在」は永遠の法則ですから
神の創造した「神の心」である「実相」に
一切をお任せする(全托する)ことが
実相顕現の方法となります。
     
(目次3に関連した投稿)
「創造の霊」の目的は愛の完成
2019-02-16
実相に於いては
人も万物も
自他一体である。
現象世界は
本来“神の子”である人間が
本来の「自他一体」を取り戻すための
魂の鍛えの場だ。
それ故、現象世界の人間の目的は「愛」の完成である。
そしてその目的は“人間神の子”の自覚、
つまり創造の神の独り子であることを悟り、
神と親子関係を結ぶことで達成される。
(心と運命 谷口雅春 日本教文社)
【吾等の観るところでは「創造の霊」の目的は愛である。愛とは何であるか? 愛とは両個(ふたつ)の同種族のものの結合である。それは互いに相寄って両個のものが完体となることである。吾等がいずこに目をやろうとも、吾等は斯かる結合のなきところに、ライフの不完全さを見出さずにはいられないであろう。目に視える宇宙全体は此の「内なる原理」の外なる表現に過ぎないのである。それは分子の親和力にも見出すことができる。同種族のものがたがいに斯く相牽引することをしなければ、あらゆる物質分子は互いに離れ去って、この宇宙は混沌として捕捉しがたき不完全なものとなるであろう。植物の世界に於ても吾等は此の原理が存在することを見るのである。実を結ぶ植物は女性の花が、男性の“それ”によって受胎せしめられない限りは、更にその植物を生み出すことは出来ない。】
正法眼蔵の『行仏威儀』の巻やその他のいくつかの巻において、
仏世界が行仏の一大交響楽であり、
それが「一つのもの」なることを説いているし、
クリスチャン・サイエンスの指導者たちも
神の国の完全さを
「愛」による結びで一つになることを
説いているのである。

        (目次4に関連した投稿)
吾等は霊的に完全円満なる宇宙の本体を認めて、それをして顕現にまで流露せしむれば好いのである
2019-02-13
「創造の神」に対して
「神の子」「実相」の顕現を全托すれば
後は「霊」が為してくれるので
それ以外に労苦する必要はないのである。
これこそ全托の妙味である。
(心と運命 谷口雅春 日本教文社)
【耶蘇(やそ)は言い給うた「汝らの中、思い煩うとて身の丈一尺を加え得んや」と。論(い)うまでもなく然りである。悪を否定する想念も、幸福を肯定する想念も共に「創造者」ではないのである。吾等は創造的「想念」と創造者たる「霊」とを細心に区別しなければならない。厳密に云うならば、「想念」は創造するのではなく、「霊」が創造するのである。創造の御業(みわざ)は尚行われつつあるのである。「創造者」として宇宙に遍満したまえる「霊」は、吾等の為に造りつつあるのである。「霊」は現象となりつつあり、「実在」は「顕現」となりつつあるのである。吾等は労苦せねばならぬことはない。】
【吾等がなさねばならぬところのものは、霊的に完全円満なる宇宙の本体―吾等はそれと一体である―の存在を認めて、それをして顕現にまで流露せしむれば好いのである―此の「顕現」は「霊」の為すべき分野である。】


吾等の運命は吾等の心的態度によって決定される
2019/2/18
心の法則は、
現象世界にいる限りいつも働いているから
私たちの運命は
私たちの心的態度によって決定される。
それだから
現象世界における正しい生き方を知り
私たちの「心的態度」を
“神の子”の心的態度に
置き換える必要があるのである。
創造の神と“神の子”の関係を知ることが、
真実の生き方であるからだ。
(参考 心と運命 谷口雅春 日本教文社)
【リットンは斯う歌っている―
「吾れひとたびその吠え声を恐ろしと感ずるならば
世界と云う犬は吾れに飛びかかる。
恐怖なしに彼に面せば、
世界と云う犬は黙して過ぎ行く。
一片の骨を彼に与うれば、
世界と云う犬は吾れに馴れて付き纏う。」

吾等の運命が、吾等の心的態度によって決定されると云うのは此の基礎によってである。世界に対して歓喜と微笑とをもって対する人は、世界も亦自分に対してにこやかに微笑みかえすことを見出すであろう。世界に対して渋面(じゅうめん)をもって対する人は、世界がまた彼にたいして怒りの唸り声を発しているのを見るであろう。「眼にて眼は償われ、歯にて歯は償われる」と云う言葉は真実である。耶蘇はこれについて言っている―「いと微(ちい)さき言(ことば)と雖(いえど)も充たされずして過ぎ行くことはあらず」と。最も微(ちい)さき事物に於てさえも、「法則」は実に精確にはたらくのである。】

「創造の霊」―これが吾等の本体を動かし、吾等のために吾等の為事(わざ)をなして呉れるのである
2019/2/18
私たちがすべきは
「創造の霊」に「問題の解決」を
全托することである。
「病気なし」「不幸なし」「災難なし」が
実相であるのだし、
つまり“神の子円満完全”“実相円満完全”であるのが、
神の理念であり、
“神の心”“神のコトバ”が
宇宙を貫いている。
創造の神が、
創造してくださったその理念(設計図)を
私たちはそのまま感謝で受け取れば
よいのである。
「神の子円満完全」「実相円満完全」と神想観で念ずること自体が
創造の神から‟実相“そして‟神の子”をすでに頂き済みであることを
確認し感謝することになるのである。
(参考 心と運命 谷口雅春 日本教文社)
【耶蘇(やそ)は宣(のたま)うた―「吾がくびき(霊のくびき)を背負いて吾れに従え、そは吾がくびきは易く、吾が荷は軽ければなり」と。精神集注は諸君の治療の能因ではないのである。「吾れみずからにては何事も為しあたわず」と、また耶蘇は言い給うた。われ等のうちに宿る「創造の霊」、また吾等がそのうちに住んでいるところの「創造の霊」―これが吾等の本体を動かし、吾等のために吾等の為事(わざ)をなして呉れるのである。吾等のなすべきことは観念を造構することと、あとを法則に委ねることである。諸君の心が迷うていると仮定せよ。若し諸君が自己の希望について明瞭な心象を形造ったならばそれを「法則」に付(わた)し切り、「法則」がその通りに活動しているのであると本当に信じ、諸君が結果を獲たならば諸君の仕事は終るのである。「汝の道を『主』にゆだねよ。主に信頼せよ。主はそれを実現し給うべし。」】
【「真理」とは宇宙の「創造の霊」の活動の法則である。宇宙霊の創造作用が諸君の仕事を引きうけて下さるのである。されば「そは汝の求むるごとく汝にまで為(な)さるべし。」】

キリストが言った言葉「吾がくびき(霊のくびき)を背負いて吾れに従え、そは吾がくびきは易く、吾が荷は軽ければなり」ということは、
人間は‟神の子“であることを自覚せよ、
ということである。
もう一つここに述べられていることは
創造の霊の創造に
「信」と「観」を与えよ、
ということである。
私が修している方法は
「神の子円満完全」「実相円満完全」と
念じることであるが、
これは
創造の神への「信」を表明するとともに、
創造された“神の子”及び“実相世界”への「観」を
行っていることになる。
谷口雅春先生の説かれた真理は
この創造の神の創造である実相世界が
宇宙を貫いているのであるから、
この真理を自覚して、
何一つ心配のない幸福な生活を送り、
生きることの素晴らしさを味わいなさいということなのであって
これひとつであると言っても
過言ではない。



1 コメント

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発見しました (中仙堂)
2019-02-16 20:44:34
人類救済を目指し発祥しました。
光明思想の導師 谷口雅春先生
(生長の家創始者)の貴重なご講演の
音声データサイトを発見しました。
過去に人づてにご紹介いただきました
『祖師の魂を継ぐ』
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/sp/

『龍樹庵の鐘』
https://ryujuan.sakura.ne.jp/
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