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新約聖書「ルカによる福音書」

2019-09-30 11:12:37 | 日記

新約聖書「ルカによる福音書」

第13章 「実のならないいちじくの木」のたとえ

7 そこで、園丁に言った。『もう3年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 


我らの現象生活は生命本来の生活とは異なるのである。現象の心は“自由を持つ”というけれども、はたしてこれを“本当の自由”というべきであるのか。

2019-09-30 09:58:02 | 日記

私は毎日の生活に

何かしら心の不自由というものを

感じ続けてきたのである。

何か自分の生活に

普通に生活していても

自由ならぬ窮屈さを

「心の使用」と云う点において

感じ続けて来たのである。

それが実相の真理探究と神想観を求め続けるようになった

理由なのである。

ハッキリ言えば“現象の心”に

“本当の自由”がナイ感じなのだ。

何かしら物質の奴隷的な感じであるのである。

(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)

【“神の救済”とは何であるかというと、われわれを愚かな迷える生活から救い出して頂いて、“われわれ本来の実相”(that is rightfully ours)たる完全円満な状態に還帰させて頂くことなのである。この事はイエスが『マタイ伝』第5章48節に於いて、「さらば汝らの天の父の全きが如く、汝らも全かれ」と宣言されたことにあらわれているのであるし、また『マタイ伝』第9章22節に「汝の信仰なんじを完からしめたり」と12年血漏を患いたる女に言われたイエスの語にもあらわれているのである。その実相の完全なすがたがあらわれるのは、“真理”がわれわれを縛っていた迷妄の自縛を解き放って自由ならしめた時であり、それは一層高き霊的世界の法則を通して物質界の法則の縛りを脱してそれを超越することを意味するのである。】


「キリストは自由を得させん為に我らを釈(と)き放ちたまえり。されば堅く立ちて、再び奴隷の軛(くびき)に繋がるな」(ガラテヤ書第5章1節)

2019-09-30 09:46:39 | 日記

いったん「物質非実在」ということに

気がついた私たちは

もう環境の奴隷になるのは

ご免という気持だ。

本当の自由をつかみたいと

いうことである。

クリスチャン・サイエンスの理論は

神癒をきっかけに現象世界離脱するという

哲学理論であるだけに

現象世界超脱ということについては

完璧に近い見事な理論と方法論をもっている。

これがイエス・キリストの説教内容なのだ。

(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)

【『マタイ伝』第7章20節には「然(さ)らばその果(み)によりて彼らを知るべし」とあるのである。本書に於いて、著者の意図するところは、人間は自己の消極的否定的な想念によって、いつまでも自縄自縛される必要はないのであり、自分が真理を知らなかったために自分自身に課し来たった周囲の条件や環境の奴隷として甘んじている必要はないのであるということを読者に示さんがためである。

「人間は環境の奴隷として造られたものではないのである。環境こそ人間の被造物であるのである」とベンジャミン・ディズレーリはいったのである。聖パウロは「キリストは自由を得させん為に我らを釈(と)き放ちたまえり。されば堅く立ちて、再び奴隷の軛(くびき)に繋がるな」(ガラテヤ書第5章1節)といっているのである。ここにいう“自由”とは“霊的自由”であり“神の子としての自由”である。わたし達すべては、今こそ立ち止まりて、脚下照顧し、人間は環境の奴隷としてその絆(きずな)に縛らるべきものでもなければ、人間関係をも含む色々の条件にも屈従しなければならぬような者ではないことを想起せよ。然り、時には、肉眼には如何にも現実に存在するかのように見える肉体の症状にさえも屈従して奴隷の絆に繋がれる必要はないものなのである。】


父なる神との分離の意識を癒そう

2019-09-29 10:57:17 | 日記

人間みたいな素晴らしい存在は

“神”の創造としか考えられず、

だいたい動物みたいな“いのち”ある存在も

“神”以外に考えられない。

またお花みたいなきれいで“生長”する植物も

“生長”自体が“神”の仕業だ。

考えて見ると、

宇宙全体を動かしているのは

全部神であって、

この世は丸ごと“神”が支配しており
全体を統べる父なる創造神のもとにあるのだ。

人間も“神”である、つまり“神の子”だ。

全部“神”なのに

人間が自分の本体が“神の子”つまり“神”なるものだと思わず、

この宇宙を丸ごと統べる“父なる神”と一体の意識がないから、

“みなしご”みたいな心境で

いろいろ苦しんでいるのが多くの人間である。

早く父なる“神”の存在に気がついて

“神”との親子関係を取り戻すべきなのだ。

(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)

【普通われわれは、肉体について神癒という語が使われるものだと思っているのであるが、神癒には多くのものがあるのである。神癒の効果は人生のあらゆる部面に見らえるのである。既に述べたように、病気というものは一つしかない~その一つの病気とは自分が大生命から離れた孤立した存在であるという“意識”の病気である。この神との分離の意識が癒されるならば、その結果として癒しが人生のあらゆる部面にあらわれて来るのである。】