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自分が“神の子”つまり真理キリストと気づかないでは、神様の子供に自分自身、成ることを拒んでいるから、神の無限供給を受け取ることができないのだ。

2021-04-18 10:43:39 | 日記
神様は無限に豊かなものを
吾ら人間に与えてくださっているのである。
だが
自分が“神の子”つまり真理キリストと気づかないでは、
神様の子供に自分自身、
成ることを拒んでいるから
神の無限供給を受け取ることができないのだ。
まずは真理を知り、
“神の子”として愛に生きる実践を
すべきなのだ。
そうすれば“神の子”に実際になるから、
神の供給も流れ入ることになる。
ただ“神の子”の自覚というものは、
自分を“神”と自覚しないと
本当の愛行は不可能である。
【神のもち給うものは皆諸君のものなのである。もし諸君がそれをとり、それを利用して進歩し前進しなければ、自分自身に与えられた能力を最大限度に生きているのではなく、自分自身に与えられているものを受けているのではないのである。「それが諸君がキリストを拒んでいるという事になるのである。」とマン女史はいっている。吾々は吾が地上に与えられている所の凡てのものを使っても使っても使いきれないのである。なぜなら余りに豊富に豊かに与えられているからである。その上まだ目に見えない所のものまでも吾々が利用するのを待っているのである。もし諸君が真に富を実現せんと欲するならば、まず奉仕の精神を起こして神からよき考えをうけとるようにしなければならないのである。】
 
 

神を身近に感じられるようになることは、祈りにとっての第一の必要事である。

2021-04-18 10:17:41 | 日記
ここには神と接触するための具体的方法が記されている。
私投稿者は、
このやり方を試みたことはない。
ただ
神を自分の身近に感じないと
神想観しても空回りするのは確かだから、
神を実感できる方法として
以下の方法もあるのだと思う。
(心の科学 谷口雅春)
【まず密室に於いて祈れ。密室というのは極めて小さい部屋でいいのである。ドアを閉ざしどこもかしこも真っ暗にし跪いて坐るのである。目を閉じ出来る限り肉体的にも平靜になるようにする。最初は一言をも発しないでいいのである。ただ静かに坐してただ心の中に、自分は今神と対面する目的のためにのみ此処にいるのであると念ずるのである。神という言葉によって、何か黄金の玉座の上に坐し給う白髭の姿の如きものが思い浮んで子供らしい感じがするならば、神と呼ばないで無限の大生命なる霊よと呼んでもいいのである。神と交通したいとの自分の願いが、何か目に見えるような形で報いを得るのに長時間かかろうとも失望してはならないのである。忍耐深く或る時間それと同じことを続けるのである。早いか遅いか、何か神との接触が実際に得られたような時が来るであろう。自己の願いを言葉に出していうことができなければ、それをしばらくの間思念するようにすればいいのである。度々実修している中に神とすぐ接触の感じを得ることができるようになるであろう。その時ささやくような小声で「無限の大生命なる霊よ、吾にいと豊かに無限の生命と愛と智慧とそして進歩とを与え給いしことを感謝します。」と唱えるのである。】