『ピりピ書』第2章5節「キリスト・イエスの心を心とする」とは、神の霊と一つなる霊を自己の自己の"内”に有つことを知ることである。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【イエスは、神と等しくあることに固く執着することなく、みずからキリストと称して、人の貌(かたち)をとるキリストとして、完全に自己とキリストの一体の自覚になり切ってしまっていたのであった。彼は、"天の父われに居まして御業を為さしめ給う也”と称して、内に宿る神を説いたのであった。また『ピりピ書』第2章5節に「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」と説かれている如く、キリスト・イエスの心を心とせざれば何者も神の全能をわがものとすることはできないのである。キリスト・イエスの心を心とするとは、神の霊と一つなる霊を自己の自己の"内”に有つことを知ることである。わたし達は、神を遥かの彼方に置いて拝んだり、神に向って話さなければならぬことはないのであるということを、イエスは実に完全に知っていたのであった。否、わたし達はキリストの意識、すなわち神と一体の自覚を"神に通ずる道”として神の御許に行くべきであると彼は説いたのであった。】
まさに「汝は真理を知らざるべからず。真理は汝を自由ならしめん」である。
自己の内に自信のもてる真理確立をすることが大切だ。
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