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「物質あり」の観念を「実相独在」の真理にて破砕しよう!

2017-10-31 18:16:28 | 日記
現象世界の存在を
非実在であるとは
普通の人は思わないでしょう。
でも
真実は
現象は現象としてはあると見えても
「非実在」であるわけで、
現象の奥の奥に
実相世界だけが独在しているのです。
実相世界は「神の国」ですから、
この真理を悟れば
唯心所現の法則により、
神世界に属するよいことが、
顕われ、
真・善・美の素晴らしい世界が現われてまいります。
ですから、私は
物質有りの観念を破砕し、
実相独在の真理を悟って
素晴らしい環境世界を
造るつもりで
日々努力しています。

ローマ人への手紙

2017-10-31 10:39:33 | 日記
<ローマ第5章>
信仰による救い(1・18-8・39)
アダムとキリスト(5・12-21)
(19)すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
(20)律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
(21)それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

心で病気を治せるか?またその方法とは?

2017-10-31 10:11:43 | 日記
心で病気を治せるかどうかということですが、
大聖師御講義『続々甘露の法雨』(日本教文社)という本には、
その体験が無数に載っているのですが、
治った人のほとんどは
心で病気を治しているのです。
それには、
あばれ馬(或いは牛)のように暴れまわる現象の心を、
いかに統御して実相の心にもっていくかの方法が
満載されているのです。
ぜひご一読をお願いいたします。

(参照 大聖師御講義『続々甘露の法雨』谷口清超編纂 日本教文社 p511)
【人間は、“肉体”と、“心”(精神)と、“霊”との三つの面をもっていますが、その“霊”の面こそ、実は単に“面”ではなくて、人間の“本体”なのでありまして、それは“神の分霊”なのですから本来完全なのであります。“心”は“肉体”と“霊”なる実相とをつなぐ架け橋みたいな働きをしている“道具”なのであります。
その“心”が、病気とか逆境とか争いとかいう「物質的状態」の欠陥の方ばかりに振り向いていますと、その不健全な“心”の波動が肉体を支配しまして、肉体を不健全にし、それを病気にしますし、既に肉体が病気になっていますならば、その病気を益々悪化せしめるように“心”が“肉体”を支配するのであります。
そこで肉体を健康にしようと思うならば、その“心”をして肉体の不健全な状態や環境の不満足なことに振り向けることを止め、“神の分霊”なる“霊”なる自己の“生命の実相”の完全さに振向けしめるようにしますと、“心”は恐怖や不安で乱れた波動を起すことを止め、正常な“健全な波動”を起しますから、その、正常な“健全な波動”で肉体を支配しますから、肉体は自然に健康を恢復することになるのであります。】


いろいろな現象的な悩みをかかえておられる方は
原点に立ち戻り、
生命の実相の第1巻から14巻までの熟読と理解、
四部経の徹底読誦、
そして神想観を
工夫し修せられますことを
おすすめする次第です。

基本的神想観をやる時は・・・

2017-10-30 17:10:06 | 日記

基本的神想観をやる時は・・・
(1)「我今五官の世界を去って実相の世界に入る」
と念じる時には、
五官の世界はあるかの如く見えるけれども
実在ではないのであるから、
五官の世界は存在しないで
本当に実相の世界(神様の世界)にいて
神の子として坐していると
思うといいです。
(2)「神の無限の智慧の海、・・・・・・」と念ずる時は
私は“神”の智慧充満する世界、“神”の愛充満する世界を
心の目で視つめるようにします。
それを念(おも)うということであります。
(3)「神の無限の生かす力自分のうちに流れ入る」と
念ずる時には
鼻から吸う息を「神の生かす力」と思い込んで
吸うことにしています。
つまりCDの語るとおりにやっております。

ローマ人への手紙

2017-10-30 11:09:51 | 日記
<ローマ第5章>
信仰による救い(1・18-8・39)
アダムとキリスト(5・12-21)
(16)かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。
(17)もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
(18)このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。