「新たに生まれる」とは
自分が「実相独在」の世界に住んでいると
気づくことである。
“自分に内に”神を見ることから
新たに生まれるのである。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【話はルールドの奇蹟の中心人物であったベルナデットに還るのであるが、この少女は学問の乏しい下賤の者で、村の人からもバカにされていたような農家の娘であったのに、何故聖母マリヤがこの娘を選んで神姿をあらわされたのだろうか。
この問題に関して、アメリカの作家のアデラ・ロージャー女史が、ある日、アディントン氏を訪問して話している時、彼女がある修道院の神父にこの疑問をぶつけて、たずねたときの話が出た。その神父は、「ノー、ノー、あなたの考えは間違っています。聖母マリヤはベルナデットに神姿をあらわされたのではありません。ベルナデットが聖母マリヤを見たんです」といって答えたので大いに啓発されたとロージャー女史は語って、それを語るとき如何にも感動したように目を輝かしたという話が載っているのである。
神は普遍的存在であって、特に無学の賤しい少女ベルナデットを愛して姿をあらわし給うたのではない。神は太陽の光のように普遍的に充ち満ちてい給う。それをどんな姿で見るかは自分の“心の窓”の形によるのである。全然窓のない暗室の中にいたり、窓はあっても、“心の窓”を閉ざしておれば、太陽光線が戸外一ぱいに満ちていてさえも、その人は暗黒の中に住んでいるのである。そんな人は神が自分の前にいましても見ることはできない。われわれは“心の窓”を開かなければならない。新たに生まれるとは“心の窓”をひらいて神を見ることである。しかも“自分に内に”神を見ることである。】