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時間・空間世界(現象世界)は認識の形式に過ぎない

2017-08-31 09:48:46 | 日記
時間・空間世界(現象世界)は
認識の形式に過ぎない、ということについて
雅春先生が
分り易く明快に書いてくださっている文章がありますので、
そこを転載したいと思います。
(参考 真理第一巻入門編 谷口雅春著)
<空間とは何であるか>
“いのち”を見せてくれと云っても見せられないでしょう。それを見せようと思うと「空間」と云う縦横厚みの枠にのせて見せる。すると肉体と云う形に見えるのです。肉体そのものが「ある」のではなく、いのちが「肉体」のように見えるのです。「人間は肉体ではない」と云うのはそう云う意味であります。
この間、ある講師が来られてこんな問いを出されました。
「先生、認識の形式と云うものはあるんですか」
「認識の形式と云うものはないんですよ」
「“ない”ものがどうしてあるんですか」
「それは心の中に描くのですよ。夢の中に見ている“ひろがり”みたいなものですよ。心で見ている間は“ある”けれども、心で見ないときには“ない”のです」


原点を離れては自他ともに救えない

2017-08-30 09:21:54 | 日記
人間の「生命の実相」を悟ったならば、
人間は神の子なのだから
迷いから生ずる病などに負けるものではなく、
断然医薬等を廃して
愛行とか仕事に精出すことによって
人生苦は克服できるものなのである、
という谷口雅春先生の説は、
私は今でも正しいと信じている。
ただ心境が実相の悟りに到達していない場合や、
方便としての現象処置が必要な場合もあるので、
この現象世界での人間の行動は、
実相の原理原則通りにはいかない場合も多いが、
雅春先生の
人間は神の子であるから、
無限力をもっていて
これに依拠することで
あらゆる人生苦を克服できるのだという生命の実相の原点を
踏まえることなしに、
人間の幸福、発展、健康、というものが
有り得ないのは
当然のことである。
思い切って
最終的にこの原点に戻っていくことが
人類光明化に
つながっていくのであり、
自分を救い、
人々を救うことにつながるのである。

疲労感、脱力感を除(と)るには!

2017-08-27 18:48:02 | 日記
外出した次の日に、
朝から
ひどい脱力感や疲れを感じることが
時々あります。
こういうものは
その日の内に
取り除く必要があります。
私の定番のやり方は
谷口雅春先生の「四部経」を
一日10回読むことです。
これは不思議な効力を発揮し、
嘘みたいに
疲労感、脱力感が、
抜けます。
何故だか理由はわかりませんが、
神の力が加わるからだと
思っています。

神想観を力まずにできるようになる時が来る

2017-08-26 07:20:28 | 日記
昨日私はブログで
神想観においては
意識が霊的な感覚にならないと
実相に入っていないのであるから、
霊的な感覚が得られるように
心を高める必要があると
書いたのであるが、
少し昨日の文に修正を
加えたい。
四部経を何度も読むとか
「生命の実相」を繰返し読んでいるうちに、
この現象の世は
実は実相世界なのだということが、
普通の感覚で
分って来るものである。
そうなると、
神想観で
実相、実相と
無理に念じなくても
普通の云い方で実相と云う言葉を唱えても
実相を観じている状態に
なるものである。
神想観は苦しい行でなく、
楽しい観法に変化してくる。
こうなってくると、
現象の好転は
現実のものとなるわけで、
力むことのない自然体の日常生活が
可能となってくるのではなかろうか。