(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第1章>
(2・13―23)エジプトへの避難と帰還
(13)彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
(14)そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
(15)ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼びだした」と言われたことが、成就するためである。
(16)さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその付近の地方とにいる2歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
(17)こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
(18)叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」。
(19)さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
(20)「立って、幼な子とその母を連れてイスラエルの地に行け、幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
(21)そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
(22)しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへいくことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
(23)ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・2・13-23 エジプトへの避難と帰還
ユダヤのベツレヘムで生まれたイエスが、なぜガリラヤのナザレに住み、人からナザレ人と呼ばれるようになったか、その事情がここに記されている。
・13 《エジプトに逃げなさい》小さく貧しい国であったイスラエルはききんや政変のあるたびにエジプトに助けを求め避難所とした。この場合はおそらくベツレヘムからあまり離れていないシナイ半島のことか。
・15 《ヘロデが死ぬまで》ヘロデ大王の死はイエスの誕生と同年であると伝えられている。したがってイエス一家のエジプト滞在の期間は短いものであったろう。《エジプトからわが子を呼び出した》この言葉が出ているホセ11・1は、神がその民イスラエルを愛して彼らをエジプトから導き出したことをさしているが、マタイはイエスの出エジプトのうちにキリスト者の救いの型をみた初代教会の神学がここに反映している。
・16 ヘロデ王は彼のほかにユダヤ人の王が生まれたという報知にがまんができなかった。博士たちが王に復命しないで去ったときヘロデの暴君的怒りが爆発した。
・16 《2歳以下の男の子を》1歳の男子で事たりたであろうに、ヘロデは残忍性を表した。
・17 マタイは暴君のため無実の罪で殺された幼児たちの母親の悲しみを思うにつけ、ふと、イスラエル人がバビロンに捕われて行く途中、エフラタのラマにあるヤコブの妻ラケルの墓の前を通ったとき、彼女の子孫が敵にひかれて行く姿を見て泣くラケルの声が地下から聞こえたというエレミヤの言葉を思いおこした。
・19 《ヘロデが死んだのち》ヘロデはローマ歴750年(紀元前4年)悪病にかかり、苦しみながら、エリコにおいて70歳で死んだ。
・20 《人々は、死んでしまった》ヘロデのことをさしているが、複数であるのは恐るべきものはだれもないという強い語句を示す。
・22 《アケラオ》ヘロデ大王の長男、父の死後、ローマ政府から王の称号を許されず、国守としてユダヤ、イドマヤ、サマリヤを治めた。父に似て残忍の人であった。
・23 ヨセフは初めユダヤに住む考えにあったらしいが、父に劣らぬ残忍なアケラオがユダヤの国守になったためガリラヤに退去した。《「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」》イエスはガリラヤ南部の町ナザレで成長し、30歳ころまで過ごされた、旧約聖書にはナザレの地名も、その預言も記されていない。したがって、イエスはナザレ人と呼ばれて人に軽んじられた。しかしマタイはイザ11・1に記された「一つの芽」がナザレと発音されるところからイエスがナザレ人と呼ばれるようになったのは預言の成就と見た。のちにシリヤ地方のキリスト信者のことがナザレ人と呼ばれた。本書はキリスト信者がナザレ人として知られていたシリヤ地方で書かれたものであるかもしれない。
<マタイによる福音書第1章>
(2・13―23)エジプトへの避難と帰還
(13)彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
(14)そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
(15)ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼びだした」と言われたことが、成就するためである。
(16)さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその付近の地方とにいる2歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
(17)こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
(18)叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」。
(19)さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
(20)「立って、幼な子とその母を連れてイスラエルの地に行け、幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
(21)そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
(22)しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへいくことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
(23)ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・2・13-23 エジプトへの避難と帰還
ユダヤのベツレヘムで生まれたイエスが、なぜガリラヤのナザレに住み、人からナザレ人と呼ばれるようになったか、その事情がここに記されている。
・13 《エジプトに逃げなさい》小さく貧しい国であったイスラエルはききんや政変のあるたびにエジプトに助けを求め避難所とした。この場合はおそらくベツレヘムからあまり離れていないシナイ半島のことか。
・15 《ヘロデが死ぬまで》ヘロデ大王の死はイエスの誕生と同年であると伝えられている。したがってイエス一家のエジプト滞在の期間は短いものであったろう。《エジプトからわが子を呼び出した》この言葉が出ているホセ11・1は、神がその民イスラエルを愛して彼らをエジプトから導き出したことをさしているが、マタイはイエスの出エジプトのうちにキリスト者の救いの型をみた初代教会の神学がここに反映している。
・16 ヘロデ王は彼のほかにユダヤ人の王が生まれたという報知にがまんができなかった。博士たちが王に復命しないで去ったときヘロデの暴君的怒りが爆発した。
・16 《2歳以下の男の子を》1歳の男子で事たりたであろうに、ヘロデは残忍性を表した。
・17 マタイは暴君のため無実の罪で殺された幼児たちの母親の悲しみを思うにつけ、ふと、イスラエル人がバビロンに捕われて行く途中、エフラタのラマにあるヤコブの妻ラケルの墓の前を通ったとき、彼女の子孫が敵にひかれて行く姿を見て泣くラケルの声が地下から聞こえたというエレミヤの言葉を思いおこした。
・19 《ヘロデが死んだのち》ヘロデはローマ歴750年(紀元前4年)悪病にかかり、苦しみながら、エリコにおいて70歳で死んだ。
・20 《人々は、死んでしまった》ヘロデのことをさしているが、複数であるのは恐るべきものはだれもないという強い語句を示す。
・22 《アケラオ》ヘロデ大王の長男、父の死後、ローマ政府から王の称号を許されず、国守としてユダヤ、イドマヤ、サマリヤを治めた。父に似て残忍の人であった。
・23 ヨセフは初めユダヤに住む考えにあったらしいが、父に劣らぬ残忍なアケラオがユダヤの国守になったためガリラヤに退去した。《「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」》イエスはガリラヤ南部の町ナザレで成長し、30歳ころまで過ごされた、旧約聖書にはナザレの地名も、その預言も記されていない。したがって、イエスはナザレ人と呼ばれて人に軽んじられた。しかしマタイはイザ11・1に記された「一つの芽」がナザレと発音されるところからイエスがナザレ人と呼ばれるようになったのは預言の成就と見た。のちにシリヤ地方のキリスト信者のことがナザレ人と呼ばれた。本書はキリスト信者がナザレ人として知られていたシリヤ地方で書かれたものであるかもしれない。