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エジプトへの避難と帰還

2016-01-31 09:52:15 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第1章>
(2・13―23)エジプトへの避難と帰還
(13)彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
(14)そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
(15)ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼びだした」と言われたことが、成就するためである。
(16)さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその付近の地方とにいる2歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
(17)こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
(18)叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」。
(19)さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
(20)「立って、幼な子とその母を連れてイスラエルの地に行け、幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
(21)そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
(22)しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへいくことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
(23)ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・2・13-23 エジプトへの避難と帰還
ユダヤのベツレヘムで生まれたイエスが、なぜガリラヤのナザレに住み、人からナザレ人と呼ばれるようになったか、その事情がここに記されている。
・13 《エジプトに逃げなさい》小さく貧しい国であったイスラエルはききんや政変のあるたびにエジプトに助けを求め避難所とした。この場合はおそらくベツレヘムからあまり離れていないシナイ半島のことか。
・15 《ヘロデが死ぬまで》ヘロデ大王の死はイエスの誕生と同年であると伝えられている。したがってイエス一家のエジプト滞在の期間は短いものであったろう。《エジプトからわが子を呼び出した》この言葉が出ているホセ11・1は、神がその民イスラエルを愛して彼らをエジプトから導き出したことをさしているが、マタイはイエスの出エジプトのうちにキリスト者の救いの型をみた初代教会の神学がここに反映している。
・16 ヘロデ王は彼のほかにユダヤ人の王が生まれたという報知にがまんができなかった。博士たちが王に復命しないで去ったときヘロデの暴君的怒りが爆発した。
・16 《2歳以下の男の子を》1歳の男子で事たりたであろうに、ヘロデは残忍性を表した。
・17 マタイは暴君のため無実の罪で殺された幼児たちの母親の悲しみを思うにつけ、ふと、イスラエル人がバビロンに捕われて行く途中、エフラタのラマにあるヤコブの妻ラケルの墓の前を通ったとき、彼女の子孫が敵にひかれて行く姿を見て泣くラケルの声が地下から聞こえたというエレミヤの言葉を思いおこした。
・19 《ヘロデが死んだのち》ヘロデはローマ歴750年(紀元前4年)悪病にかかり、苦しみながら、エリコにおいて70歳で死んだ。
・20 《人々は、死んでしまった》ヘロデのことをさしているが、複数であるのは恐るべきものはだれもないという強い語句を示す。
・22 《アケラオ》ヘロデ大王の長男、父の死後、ローマ政府から王の称号を許されず、国守としてユダヤ、イドマヤ、サマリヤを治めた。父に似て残忍の人であった。
・23 ヨセフは初めユダヤに住む考えにあったらしいが、父に劣らぬ残忍なアケラオがユダヤの国守になったためガリラヤに退去した。《「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」》イエスはガリラヤ南部の町ナザレで成長し、30歳ころまで過ごされた、旧約聖書にはナザレの地名も、その預言も記されていない。したがって、イエスはナザレ人と呼ばれて人に軽んじられた。しかしマタイはイザ11・1に記された「一つの芽」がナザレと発音されるところからイエスがナザレ人と呼ばれるようになったのは預言の成就と見た。のちにシリヤ地方のキリスト信者のことがナザレ人と呼ばれた。本書はキリスト信者がナザレ人として知られていたシリヤ地方で書かれたものであるかもしれない。

エジプトへの避難と帰還

2016-01-30 19:24:56 | 日記
エジプトへの避難と帰還
2016/1/29
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第1章>
(2・13―23)エジプトへの避難と帰還
(13)彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
(14)そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
(15)ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼びだした」と言われたことが、成就するためである。
(16)さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその付近の地方とにいる2歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
(17)こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
(18)叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」。
(19)さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
(20)「立って、幼な子とその母を連れてイスラエルの地に行け、幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
(21)そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
(22)しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへいくことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
(23)ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)後で投稿

東方の博士来たる

2016-01-29 22:03:23 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第1章>
(2・1―12)東方の博士来たる
(1) イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
(2) 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
(3) ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
(4) そこで王は祭司長たちと民(たみ)の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
(5)彼らは王に言った、「それらはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
(6)『ユダの地、ベツレヘムよ、
おまえはユダの君たちの中で、
決して最も小さいものではない。
おまえの中からひとりの君が出て、
わが民イスラエルの牧者となるであろう』」
(7)そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
(8)彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
(9)彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
(10)彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
(11)そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬(もつやく)などの贈り物をささげた。
(12)そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
(2・1-12 東方の博士来たる
イエスの生まれた時と所を明らかにし、また東方の博士の来訪と、贈り物の奉献という出来事(歴史上の事実か、その粉飾かは知る由もないが)を通して、幼児キリストの誕生に対する筆者の驚きと歓喜が芸術的に表現されている。神の御子出生の事件に星(自然)も動かざるを得なかった、と筆者は信じた。
・《ヘロデ王の代に》ペレスチナとその周辺を紀元前55年―93年にわたって治めたヘロデ王朝所属の王(紀元前40―4年在位)。イエスの誕生の時のユダヤ王。彼は賢明で国政の才能をもっていたが、非常に残忍な性質で、その親族の中で、彼に殺された者も多かった。《ユダヤのベツレヘムでお生まれになった》ルカによる福音書(2.4)によるとイエスの両親がベツレヘムにいたのは偶然のことであった。《東から来た博士たちが》博士(マゴス)はもと中央アジアの民族宗教の祭司の名称であるが、また古代の天文学者(占星家)もマギと呼ばれた。ここの博士はおそらくバビロンあたりの天文学者であったろう。
・2 《ユダヤ人の王としてお生まれになったかた》博士は異様な星を見て伝説の実現を感じた。《その星を見たので》ユダヤ人はヤコブから出る星がメシヤであると信じていた。同じような話が、ほかの民族のうちにもあったものと思われる。《拝みにきました》異邦人は幼児キリストを拝みにきたが、ヘロデ王はキリストを殺そうとした。
・3《不安を感じた》イエスを王位の継承者と考えたから。《エルサレムの人々も》王の不安が郡全体に波及した。真理よりも流言に従う民衆の姿がここに見られる。
・4 《祭司長たちと民の律法学者たち》祭司長は王の場合と同様に神の召しを受け、油をそそがれて任職され、神と人との間に立って、人々のためとりなしをすることを職務とした。ユダヤが国家的独立を失ってからは、国民の間に大きな勢力をもった。律法学者は、律法の解釈を職業とする学者で、イエスの時代に彼らに、先生(ラビ)の尊称が与えられ、国民に対し、宗教上の正邪の判定に当たっただけでなく民法刑法上の犯罪の審判権をもっていた。
・5 《預言者がこう記しています》王の質問に対し聖書によって答えた。
・6 ミカ5・2よりの引用。ただしミカはベツレヘムを「小さい者だが」と呼んでいるのに、ここで《小さいものではない》と変えられているのは、かつてベツレヘムは小さい者であったが、今はメシヤ誕生の地となったことによって大いなるものになったからである。
・8 《わたしも拝みに行くから》実はイエスを殺そうとの陰謀をうちに隠した心にもない甘言。
・10 《非常な喜びに》博士たちは星をメシヤのしるしと思った。非常にという表現が本書に多く用いられている。
・11 《家にはいって》ルカによる福音書によるとイエスが生まれたのは「飼葉おけ」のある場所であった。《黄金、乳香、没薬などの贈り物》王にささげる贈り物、乳香は香木の樹脂より採った香料、没薬は高貴薬。この三種の贈り物から、博士の数が3人であるように推測されている。

東方の博士来たる

2016-01-28 21:07:44 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第1章>
(2・1―12)東方の博士来たる
(1) イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
(2) 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
(3) ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
(4) そこで王は祭司長たちと民(たみ)の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
(5)彼らは王に言った、「それらはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
(6)『ユダの地、ベツレヘムよ、
おまえはユダの君たちの中で、
決して最も小さいものではない。
おまえの中からひとりの君が出て、
わが民イスラエルの牧者となるであろう』」
(7)そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
(8)彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
(9)彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
(10)彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
(11)そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬(もつやく)などの贈り物をささげた。
(12)そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)後で投稿

イエスの誕生(解説含む)

2016-01-27 18:07:22 | 日記
イエスの誕生
2016/1/27
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第1章>
(1・1―17)イエスの系図
この部分は投稿を省略します。
(1・18―25)イエスの誕生
(18)イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
(19)夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公になることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
(20)彼がこのことを思いめぐらしているとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
(21)彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をもろもろの罪から救う者となるからである」。
(22)すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
(23)「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。
(24)ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
(25)しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・マタイによる福音書にだけ記されているイエスの誕生物語である。
・18 《母マリヤはヨセフと婚約していたが》婚約は結婚でなく、花婿が花嫁を自分の家に迎えるとき結婚が成立する。しかしユダヤの婚姻法によると、婚約した婦人はすでに相手方の妻であった。したがって、婚約中の不貞は姦淫と認められ死罪に当たるとされた。《聖霊によって身重になった》神の創造的能力を示している。神の能力への信仰から生まれ、当時の異教的神話から生まれたものではない。
・19《夫ヨセフは正しい人であったので》ヨセフのような場合、二つの道があった。一つは婚約者を法廷に訴えて黒白をつける。もう一つは、証人の前で離縁状をマリヤに渡して離縁する。ヨセフは後者を選んだ。それは彼が物事を律法的に考える冷血漢でなく、《彼女のことが公になることを好まず》物事を、たとえ不貞を犯した者に対しても人格的に処理しようとしたからである。このゆえに彼は《正しい人》と言われなければならない。
・20 《夢に現れて》聖書は夢を神の啓示の手段としてしばしば記している。《妻として迎えるがよい》結婚せよの意、18節を見よ。《聖霊による》胎児は不義の子でなく、神のみこころによる。
・21 《その名をイエスと名づけなさい》ユダヤ人のメシヤ思想において、メシヤの使命は罪人の救いよりも、その審判であり、審判の結果罪は消滅し、神の聖を実現することであった。しかしイエスは世をさばくためでなく救うために来られた。
・22 《主が預言者によって言われたことの成就》イエスの生涯や、旧約の預言の成就。この表現は本書の特徴である。
・23 《「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」》イザ7・14、8・8、10の引用。イザヤ書原点で《おとめ》は「若い女」で必ずしも処女を意味しないと解釈されるが、マタイはイエスの超自然的誕生の意味に使用している。《インマヌエル》シリヤ・エフライム戦争中(紀元前735年)、イザヤが誕生を預言した子供の名、「神われらと共にいます」という意味。神は御子の受肉により人間と世界の運命に干渉し、その悩みを負い、喜びをともにし、われらの罪の重荷を負う者となられた。
・25 《彼女を知ることはなかった》同衾しなかった。この句はマリヤの永久処女説が根拠のないことを表している。