谷口雅春先生は
「実相とは神である。“ある”ものは神“のみ”である。神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ。」
とお悟りになりました。
「神の心」とは現象を縦に貫く実相であり、
「神の心の顕現」とは
実相の展開せる現象世界であります。
これが釈迦の悟りであり、
キリストの悟りであります。
久遠生き通しの生命の復活を
お悟りになられた後、
谷口先生はご自分が分ってきたことを
次のように記しておられます。
自分自身が実は
「空」の内なる「妙有」(真如)なのだと
気づかれたのです。
現象は実相の影であり本来あるものではなく、
見えない“実相”が天地の初めから存在しているのだと
覚られたのである。
私が“実相人間”というのは、
現象を超えて現象に生きてはたらく“実相の心”(われ)のことです。
迷いとか悟りとか云ったって、
もともと大いなる悟り(実相)のなかにおいて、
人間が(自由な)心で行なっていることであり。
実は天地の始めから“神の子”は“神の国”にいるだけだから、
その真実に気がついたと
書かれているのです。
(生命の実相第20巻 谷口雅春著)
【それ以来、心、仏、衆生三無差別の心というものが本来無いものであるということがわたしにハッキリわかった。迷う心もないから、悟って仏になる心もない。迷う心が進化して悟って仏になると思っていたのがまちがいであったのである。ただ初めから仏であり、神である「実相の心」があるだけである。その実相の心が展開した実相の天地があるだけである。浄飯王の王宮を出て、伽椰城を去ること遠からず、菩提樹下に6年間静思して初めて悟りをひらいて仏となったという現象の釈迦牟尼仏は本来無かったのである。】