「み心の成れる世界」に於いてはすでに与えられている、
と信じて実相に感謝するということは、
「実相」に対する信仰、
即ち創造の神の造り給うた世界は
円満完全なのだという信仰が
不可欠なのである。
「神の子・神の国」それこそが現象人間の本体である。
この真理の獲得は簡単とは正直言えないし、
実相に対する本当の「信」と全托は
これも易しくはない。
この真理獲得と「信」のクリヤで
実相の現象化が実現する。
すべてを捨てて実相に飛び込め!
(心と運命 谷口雅春)
【ある人はまだそれが得られていないのにどうして正直な心持で与えられていないものを与えられているかの如く感謝することができるのであろう。もしすでに与えられているならば求める必要はないではないかと反問する事があるかもしれない。しかしそれは現象と実相とを混同した問いなのである。実相即ち、「み心のすでになれる世界」に於いてはすでに与えられているのである。そうしてそれを現象界に浮び上がらせるには、すでに受けているものに波長を合わさなければならないのである。すでに受けている通りの心を起こす、すでにうけている通りに感謝するのは、「み心のすでになれる世界」に波長を合わしてそれを地上に顕現することになるのである。マン女史も「真理に於いては、諸君は無限に豊かなる生命と、愛と、智慧と、進歩とをすでにもっているのである。」と書いている。】