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実相の観なるかな! である。

2013-08-31 21:48:37 | 日記
いつから
私は健康に
以前より
自信を持ち始めたのか。
これは
真剣に実相を顕現しようと
本気で観を始めた
3カ月前くらい以来だ。
健康に自信が出てくると
希望が
次から次へと出てくる。
旅行とか
仕事とか
まだまだ出来るような気持ちになる。
実相の観なるかな! である。

健康と言われるわけ

2013-08-31 21:15:15 | 日記
今日
私が一緒にコーヒーを飲んだ知人の婦人が
私に
こんなことを言った。
「先生って、
こんなに丈夫だったかしら」と。
これは何のことを言っているのかというと、
私が
今年の夏の暑さにもかかわらず、
へばりもせず、
マンション清掃の仕事をしたり、
毎日歩き回っているので、
不思議に思いつつ
讃嘆して
言っているのである。
今年の夏の暑さは異常だと
誰もが言う。
多くの人は
暑さで元気がなくなり
本当にへばったみたいだ。
けっこう時々会っている人が私にいうのだから、
私は本当に健康に見えているみたいだ。
どうしてだろうと自問してみると
実相を祈る観法が
本格的になって
効果を顕わしてきつつあるからとしか、
答えがみつからない。



教育者の喜びと自信

2013-08-30 20:29:28 | 日記
教育という仕事は
素晴しい仕事であるが、
その仕事をする教師が
仕事に対して喜びを感じ、
教師をやってきて良かったと思えるのは、
やはり、
その仕事が
生徒の血や肉となり、
彼らの喜びと感謝が
自身に跳ね返って来たときである。
それには
教育の仕事が
効果をあらわさなければ
ならない。
つまり教育を為す人が
「教育」を
実現する必要がある。
「教育」の理念を現成させることができれば、
その時に初めて
生徒の変革があり、
感謝され、
教育者としての
喜びと自信を
持つこともできるのである。

私は生涯、教育をやります

2013-08-30 18:51:54 | 日記
私が教職にあこがれたのは、
ある高校で
非常勤講師として
フランス語の文法を
教えた時である。
別に教えることが
効果があったとか
教えることで感謝されたとか
そんなことは
力量不足で無かったのであるが、
でも
その教育経験で私がつかみとったものは、
「教育」という仕事の素晴しさである。
つまり教育活動自体が内包する
醍醐味があるのだ。
これは本当に「教育」者である人なら
理屈抜きで直観的に掴みとれるものであって、
説明のできるものでは
ないのである。
これは
初等教育でも
中等教育でも、
あらゆる教育の仕事には、
「教育」の理念が存在しているから、
教育が行われるところには
その素晴しさは
存在している。
だから理屈抜きで
教師という仕事は
すばらしい仕事なのだ。
私は生涯
教育をやります。

自分の周囲の人間を親切にするには・・・

2013-08-29 11:15:53 | 日記
今日読んだマスローの文章に
自分の周りの環境にいる人たちが
親切でない場合には
どうしたらよいかについて、
以下のように書いてあった。

(参考 マスローの人間論 エドワードホフマン 上田吉一・町田哲司訳)
≪この譬えの言わんとするところは、われわれの目に映る他人というのは概して、鏡に映った自分自身の姿だということである。とすると、愛のない冷たい雰囲気の場所にいる時、どうしたらよいのか? 何よりもまず、自分自身が愛情ある人間になることだ。なぜなら、われわれ自身も冷たい雰囲気をかもしだすのに一役買っていたはずだからである。かつて仏陀はこう言った。「あなたがたは外なる法の犠牲者なのではなく、内なる因の犠牲者なのである。」
この古代の教えは明らかに現代にも通用する。憎悪に満ちた人は理想的な環境に生きていてもやはり憎悪に満ちており、環境によって人格が改善されない限りその環境を破壊しさえする。≫

自分の周りの人間が、
自分に対して親切でない場合は
自分が親切な人間になればいいのだ、という指摘は、
非常に厳しいものがあり、
自分のことを考えると、
何かショックさえ
感じてしまう。