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現象世界は“神の子”の国である。

2021-04-24 10:58:56 | 日記
現象世界は“神の子”の国である。

1現象世界を丸ごと動かしているのは“隠れている神の子”(自分の本体)である。
パソコンやテレビを陰で隠れて動かしている。ズームで誌友会を開くことを陰で隠れて行っている。アサガオの成長を陰で隠れて行っている。雨を陰で隠れて降らす。ドトールの店員の仕事を陰で隠れて行っている。現象世界を丸ごと陰で隠れて動かしている存在がある。
すべて見えない神(自分の本体“神の子”)がやっていること。
自分の現象は自分の“神の子”の働きで動いている。
(始めに言があった。言肉となって我らの内に宿った)。三界は唯心(言)の所現。
現象世界は神の国。見えない「知恵・愛・生命・供給・喜び・調和」の国。
「現象ナシ実相あるのみ」とはこのこと。実相独在。
現象世界は神の言の躍動する神の国。
2 実相を現象顕現するには、実相を「信」じて「観」じることである。
もう一つ大事なことは「つかみを放して実相に全托」する。
この世の本体が「神の子・神の国」と本気で「信」じないと「観」ができない。
実相現象化のための三つのこと・・・実相第8巻『無限生命に汲む道』
(1)自己生命について、神なるその本来の面目を念う。
(2)本来の面目のみを念ずる。
(3)本来の面目のみが存在のすべてであると知る。
「神の子」「神の国」だけが存在していると、本当に「信」じること。
信じれば「観」じることが顕われる。現象のつかみを放して神に実相円満完全を任せる(これが易しくはない)。
“神の子”を本当に「信」じて任せることが鍵となる。

自分を“神の子”に明け渡すと、
“神の子”が出てくる。


自覚に伴う生活の革新

2021-04-24 10:24:12 | 日記
“神の子”として新たに生まれるということは、
父なる神と親子関係に入る、
ということである。
常に神の御心にしたがい、
神の御心に生きる、
という風に自覚が変らなければ
新たに生まれたとはいえないのである。
(神と偕に生きる真理365章)
【“神の子”として新たに生まれた自覚の上に立って、吾ら何を為すべきかである。“神の子”として自覚が生まれ変ったならば、幼な児が常に自分の父母を恋い慕い、父母の方に心を振り向けるのと同じように、わたしたちは、わたしたちの生命の生みの親なる“神”に対して振り向かねばならぬのである。この新しき自覚の日、心を神に振り向け、神の御心の指導し給う通りに、幼な児が常に自分の手を引いてくれている母親を見上げて、その導きの通りに歩もうとしているように、人生の行路を歩まねばならないのである。】
神こそ道なり、実在なり、である。

新たに生まれるあなたの自覚

2021-04-24 10:12:41 | 日記
新たに生まれる時が来た。
私自身が新たに生まれる必要がある。
この自覚というのは
自分の本体が“神の子”つまり神なのだと
本当にさとることなのだ。
この自覚を得ないことには
ただ齢を重ねて老い行くというだけで
人生に深い意義をもたらさないと、
きびしいことを雅春先生は仰っている。
(神と偕に生きる真理365章)
【新しく生まれ変る年である。新生の年である。今まで自分を一個の物質的な存在であると思っていたのを“人間は物質に非ず肉体にあらず、聖なる神の子であり、霊的実在である”と知る時が来たのである。わが内に神の生命が宿っており、その“神の生命”が“本当の自分”であり、肉体は地球という天体上で“神の生命”が一時的に被服として身にまとい、地球上での仕事又は使命を果すための“宇宙服”としてみずからの生命が織り上げたところの被服であると知るときを迎えたのである。この自覚の生まれ変りを得なければ新しき年を迎えるということは、ただ、齢(よわい)を重ねて老い行くというだけで、人間の存在に何らの深い意義もないことになるのである。】