たぶん2004年、チベットに行った。
別にチベットに行きたいわけじゃなかった。
チベットじゃなくても良かった。
はっきりした目的のない旅。
心に迷いのある旅だったなーと
今となっては思う。
まだ自分を信じられていなくて、
心が今よりずーーーっと、フワフワしていた。
でも、行ってしまった。
あそこの空気をすって、
人々と触れ合った。
だから、
ニュースを見ると心がイタイです。
雑誌「coyote」の、
チベット特集だった時に、ダライ・ラマのインタビューが載っていて、
読み返した。
「誰と出会おうと、私は、その人を一人の、私と同じ人間と考えます。」
その言葉がぐっときた。
同じ「人間」として、相手と繋がっているということ。
誰と会っても、「この人は人間なんだから」と、思うこと。
「国籍」や「宗教」とか枠組みにとらわれると、区別や差別が生まれてくる。
「会社」とか「役職」とかもそうなのかな。
「人間である」という基本的なレベルで相手と向かうことが大事だって、書いてた。
いやな人でも、敵?でも。
相手も立場があって、
自分も立場があって、
それでも自分と同じ人間なんだ、っていうことを心に止めておけば、
解り合えるのかもしれない。
とにかく、
みんなが笑顔でいられたらいいな。
別にチベットに行きたいわけじゃなかった。
チベットじゃなくても良かった。
はっきりした目的のない旅。
心に迷いのある旅だったなーと
今となっては思う。
まだ自分を信じられていなくて、
心が今よりずーーーっと、フワフワしていた。
でも、行ってしまった。
あそこの空気をすって、
人々と触れ合った。
だから、
ニュースを見ると心がイタイです。
雑誌「coyote」の、
チベット特集だった時に、ダライ・ラマのインタビューが載っていて、
読み返した。
「誰と出会おうと、私は、その人を一人の、私と同じ人間と考えます。」
その言葉がぐっときた。
同じ「人間」として、相手と繋がっているということ。
誰と会っても、「この人は人間なんだから」と、思うこと。
「国籍」や「宗教」とか枠組みにとらわれると、区別や差別が生まれてくる。
「会社」とか「役職」とかもそうなのかな。
「人間である」という基本的なレベルで相手と向かうことが大事だって、書いてた。
いやな人でも、敵?でも。
相手も立場があって、
自分も立場があって、
それでも自分と同じ人間なんだ、っていうことを心に止めておけば、
解り合えるのかもしれない。
とにかく、
みんなが笑顔でいられたらいいな。
あ・・・
僕の帽子・・・w
けどやっぱり気になりますね。